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『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
  • ※現在は、販売しておりません。
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    「究極の身体」を体感してほしい

第2回 (2008.7.13 掲載)

(前回からの続き)人間というのはどこまで身体運動能力を高められるのだろう

そして陸上の100mには、褐色の弾丸といわれたボブ・ヘイズというスターがいました。彼こそ史上最高のスプリンターだという専門家も多いのですが、彼の走り方=身体運動を思い出してみると、現在のトップスプリンターであるモーリス・グリーンなどの走り方と比べると如実に違いがあります。モーリス・グリーンのほうが脱力が進んでいて、身体がゆるゆるトロトロになっているのです。とくに体幹部のなかが非常に分化してきていて、その分化されたパーツ同士がずれあって運動するような状態が、モーリス・グリーンのほうがずっと進んできています。

一般的にこの40年間のタイムの短縮は、単に表面的な手脚、つまり四肢の筋力向上の影響の方が大きいと考える人が多いと思いますが、決してそうではありません。筋力トレーニングの量もさることながら、体幹部のとくになかがどれぐらい分化されて、その分化されたパーツ同士がお互いにずれあって運動することができるようになっているかなっていないかという違いのほうが大きいのです。そういう視点からまず40年前の東京オリンピックと現代を比較してみなければいけないのです。

みなさんもおそらくは最新のトレーニングマシンの利用や栄養学などの発達によって、非常に爆発的な筋力が生まれて、それによっていまの世界記録が作られているのでは、と思う傾向が強いと思います。そうした考えはとくにスポーツ科学者等のいわゆる専門家に多い傾向なのですが、もしボブ・ヘイズの体幹部がモーリス・グリーンのように分化して各パーツによるずれ運動が可能になっていたのなら、40年前のボブ・ヘイズの筋力のままでも9秒8代のスピードで走ることはできたはずです。したがって私はこの40年間のスポーツの歴史というものは、科学的トレーニングによる筋力アップや生化・生理学的な進歩という要素が重要である一方で、身体の使い方、とくに体幹部のなかの使い方の変化という因子も、重要であると考えております。

高岡はなぜ、スポーツではなくマイナーな武道なんてものをやっているの

「高岡はなぜ、スポーツではなくマイナーな武道なんてものをやっているの?」この質問は私の高校時代の級友との会話のなかで出てきたものです。その友達はたいへん優秀なスポーツマンだったのですが、私たちの学校がいわゆる進学校だったために、団体競技をやっていた彼が全国レベルの大会で日の目を見ることは残念ながらありませんでした。しかしもし彼がその種目に強い学校に通っていたのなら、間違いなく日本のトップ選手として注目を集めたはずです。私はその彼と非常に仲がよく、しばしば色々なことを競い合っていたのです。

たとえば私が鉄棒を飛び越えて見せると、彼もムキになって飛び越えてみたり、跳び箱で競い合ったり、器械体操で困難な技に挑戦してみたりと、とにかく体育のあらゆる分野で競い合ったものです。ですから走る速さも何度も競い合いました。その結果、100mだと彼のほうが私よりも速かったはずです。しかし30mぐらいまでは私のほうが速く、スタートから3mぐらいまでで比べると私のほうが圧倒的に速いのです。

だから「お前とオレはどっちが速い?」という話になった時、彼は当然「自分の方が速い」というわけです。私は私で「いや絶対オレのほうが速い」というわけです。「だって、1m刻みで比べてみようよ。まず1m競争はオレのほうが勝つだろ。2mでもオレ、3mでもオレ、4mでも…」。すると彼は「いやいや、だったら100mから勝負しようよ。101mだったらオレの勝ちだろ。102mでも…」という具合にお互い譲る気はないわけです。

そんな話をしているうちに「30mまで速い人間と100mが速い人間はどちらが優秀なんだ」なんて議論もしたものです。お互い身びいきするものですからなかなか結論は出ないのですが、厳密に話し合っていくと、当時存在したスポーツや武道をすべてひっくるめて考えてみると、やっぱり30m以内が速い方が総合的かつ普遍的な価値があるという結論に達したのです。陸上には30m競争という競技はありませんが、最終的に彼も「高岡の足の方がいいなぁ」といっていましたね。

もう少し彼との思い出話をさせてください。彼の脚は鍛えに鍛えてあったので太腿はものすごい太さだったのです。同級生の女の子たちのウエストと同じぐらいの太さがあったのですから。私だって身体は半端ではなく鍛えていましたが、彼の太腿に比べると私の太腿は見た目上、半分ぐらいの太さしかありませんでした。でもある日、彼と脚力の勝負をしようということになり、互いに椅子に座って向き合って、膝相撲をやったのです。はじめに私が彼の脚を外側から挟むようにして、彼は逆に内側から私の脚を開く側になりました。

なにせ脚の太さが圧倒的に違うので、彼自身はもちろん勝負を見守っていた他の級友たちも彼の圧勝を疑う者は一人もいなかったのですが、いざやってみるとどうでしょう。私の脚が彼の脚をビターっと挟み込んで、彼がいくら唸ってもびくともしないほど押さえ込んでしまったのです。「おかしいな。こんなはずないのに」と彼が首を傾げるので、次に抑える側と開く側を交代してやってみたのですが、結果はまたもや私の圧勝。しかも今度は股裂きになるので彼は股が痛くなって…。とにかく予想外の結果に、彼も見守っていた級友達も大いに驚いたので、私は次のようにみんなに勝因を解説してあげたのです。

「彼の持っている脚力というのは、主に膝関節をまっすぐ屈伸させる脚力なんだよ。だからそれが役に立つ局面もあるだろうし、ひとつの要素としてはやはり身体能力といえるだろう。だけどボクが考える身体能力では、脚つまり大腿骨を股関節を中心に動かす強さの方が重要なんだ。いま膝相撲で争ったのは、まさに大腿骨を開いたり閉じたりする強さだろ。だからこの力はまっすぐ人間が飛び上がるにはあまり重要ではない能力かもしれないけど、およそ水平方向の運動成分を持つ運動では非常に重要な運動能力だと思う」と。

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