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『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
  • ※現在は、販売しておりません。
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    より詳しく、より深くスリリングに
    「究極の身体」を体感してほしい

第9回 (2008.7.6 掲載)

2時間目 「組織分化」を読む

究極の身体とレギュラーの身体の違いはなにか

人間の身体を機能していない身体(=死体)としてそのまま観察してみると、達人、名人と呼ばれた“究極の身体”に近い存在の人の身体でも、ごく一般的な人物の身体でも違いらしい違いというものは見当たりません。具体的にいうと、背骨は誰にでも26個あります。これがもし非常に優秀な身体運動家、たとえばかつてのマイケル・ジョーダンの背骨は26個で構成されているけれど、一般人の背骨は3個しかなかったとしたらどうでしょう? 同じように私が“達人の筋肉”と呼んでいる腸腰筋(胸椎の12番~腰椎と腸骨から発し大腿骨につながっている深層筋群)も、ジョーダンやタイガー・ウッズにはあるけれど、ふつうの人にはないものだとしたらどうでしょう? その時点で夢も希望もなくなりますよね。

でも現実はこの正反対で、“究極の身体”を体現した人物がいたとしても、その人の身体はまったくふつうの一般人と変わらない構造をしているのです。まずこのことを認識することが非常に重要なのです。

達人も一般人も身体の構造は同じ? そんなのあたりまえじゃないか? と多くの人は思うかもしれませんが、そのあたりまえの事実をみんな見失っているというのが、ここでの重要な第一の考え方なのです。

このことをさらに一般化して見てみると、“究極の身体”と一般の人の身体というのは、すべての面で同じである反面、そのすべてにわたって違いがあるのです。それはどういう意味かというと、“究極の身体”は人間の身体の組織全体にわたってパーツが分化されているということです。

この「分化」という言葉には、原著(『究極の身体』講談社)のなかで独特の意味が与えられています。たとえば解剖学者が人間の身体を解剖して骨盤付近に到達したとします。すると「うん、骨と筋肉は別々のものだよね」という認識になるはずです。つまり解剖学者にとってみれば、その存在自体がすでに分化されているものなのです。だから骨と筋肉を間違える解剖学者というのはひとりもいないでしょう。また解剖学者以外の人々だって、骨付きの鶏肉やスペアリブを食べるときに、骨と肉を間違えて骨までいっしょに食べてしまう人はいないはずです。だから認識として見た場合、骨と肉を間違える人は皆無であって、そういう意味で骨と肉は常に分化されているのです。だから原著でいう「分化」というのは、通常の意味での使われ方ではないということです。

では原著でいう「分化」とはどういう意味なのか。それは働く身体、機能する身体として全身の組織が分化しているという意味です。その機能も生命を支えている、生きているという水準の機能ではなく、より高い身体運動ができるか否かという観点から見たときの機能です。このより高い身体運動というのは、必ずしもスポーツや武術に限ったものではなく、人間のあらゆる芸術・芸能、そして労働や日常生活の活動などすべての身体運動を含んでいます。こうした機能において全身が分化しているかしていないかというのが、私の「組織分化論」における「分化」です。

このことを踏まえ、高いパフォーマンスを発揮する機能について語っていきましょう。分かりやすい下半身の骨格を例に説明しますと、下半身の骨格というのは全身(主に上半身)の重量を支えるという機能を持っています。この支えるということにおいても、非常に高いパフォーマンスとそうでないパフォーマンスというのがあるのです。身体を支える、つまり立ったときに最小の力=最小の筋力で立てることが、身体を支えるということの最高のパフォーマンスになるのです。別の視点で見ると最小の筋力で立つというのは、大腿骨や脛骨といった骨をもっとも有効に使って支持機能を発揮させた状態ともいえます。

  • 『究極の身体』を読む”講義風景
  • 『究極の身体』を読む講義風景
  • 骨格こそ身体本来の支持組織。筋肉は出力組織。

骨格標本を見てください。立ったときに膝が曲がって、その結果股関節も屈曲しているとすると、膝関節を伸展させる筋肉である大腿四頭筋に余計な仕事をさせなければならなくなります。常にこうした立ち方をしている人は、常時大腿四頭筋に余分な力が入りつづけることになるので、使うエネルギーはいつも無駄に摂取しなければならなくなります。さらにそれが積み重なって老年になると、膝関節を痛めたり筋肉を痛めたりすることにつながってきます。

一方で、その人がもしスポーツマンだとしたら、歩いたり走ったりするときにも立つときの大腿四頭筋の使い方が癖として現れてしまいます。前記のとおり、大腿四頭筋は膝関節の下、脛を伸展させる筋肉なので、この筋肉が働くと前進しようと思っても足に強いブレーキがかかったような動きになってしまいます。これは前方へ向かう運動の要素が強いスポーツや武術という分野では明らかにマイナスで、どうしても鋭いダッシュ力や切れ味のあるスピードが出にくい動きになってしまいます。

  • 大腿四頭筋のブレーキ性
  • 大腿四頭筋のブレーキ性
  • 大腿四頭筋は脛を伸展させる筋肉なので、大腿四頭筋が収縮すると身体は後方に向かってしまう。

このように一般人ならば高齢になったとき、より障害を起こしにくい身体がより高いパフォーマンスの身体であり、スポーツ選手でいうのなら、より優れたダッシュや切れ味のあるスピードを発揮できる身体が優れた身体であり、そのパフォーマンスが優れたパフォーマンスといえるのです。したがって、膝を少しでも余計に曲げて前腿で身体を支える傾向のある人は、それだけでパフォーマンスが低くなってしまうのです。

このことを「分化」の観点から見てみると、本来身体の支持組織である骨格を活かしきれていないということです。逆にいえば出力組織である筋肉というものを支持組織として何%か代用してしまっているわけです。そのパーセンテージは人によって違うでしょうが、仮に20%筋肉が代用しているとすると、その人は間違いなく腿の前面の筋肉と大腿骨の分化がそのパーセンテージ分だけ劣っているはずです。簡単にいえば、その分だけ筋肉を骨と間違えているということです。

この場合、本人の主観としては立っていたり身体を動かしたりしている最中に、顕在意識として筋肉を支持組織として代用していると意識していることはないでしょうが、潜在意識のなかにおいては筋肉を骨と間違えてしまっているのです。

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