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『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
  • ※現在は、販売しておりません。
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    より詳しく、より深くスリリングに
    「究極の身体」を体感してほしい

第10回(2008.09.09 掲載)

(前回からの続き)究極の身体とレギュラーの身体の違いはなにか

さて今度は人体骨格図を正面から見てみましょう。膝を外側に開いた姿勢をO脚、逆に内側に絞った姿勢をX脚といい、こうした角度の関係をアライメントといいます。現代人はこのアライメントがずれている人が多く、きちんとしたアライメントできれいに立てている人は非常に稀です。そのアライメントがずれてX脚やO脚になると、格好が悪く見えますし、動きが悪くなります。スポーツ選手だったりするとこのアライメントのずれが即パフォーマンスに影響してくるのはいうまでもありません。また高齢者になると、アライメントの狂いが膝関節や股関節の障害をしばしば引き起こす原因になるのです。

これらのことも、先ほど話した高いパフォーマンスか低いパフォーマンスかという意味での機能から考えた機能の実例になります。

立ったときの正しい脚のアライメントというのは、脛骨がまっすぐ垂直になる状態で、この状態のときに骨を支持組織として100%使い切ったといえるのです。ということは、つまり筋肉は必要最小限しか筋力を発揮していない状態にあるということです。

  • 人体骨格図
  • 人体骨格図
  • O脚でもX脚でもないニュートラルな膝の位置は
    こうなっている。

一方、O脚の状態というのは、腰の側面の筋肉である中臀筋や腿の外側にある外側広筋などが強く働き過ぎてしまっているのです。本来、脛骨を垂直にすれば楽に立てるのに、O脚の人というのは潜在意識のなかでなにか誤解しているところがあるのです。だからあえて余計なところに力を入れてしまうのでしょう。このことを一般的に〝力み〟といいます。この状態をその力んでいる人の観点からいうと、側腰部あるいは大腿部は、骨格とその外側の力んでもっこりとした筋肉がいっしょのかたまりになってしまっているのです。その結果、骨が実際の位置より外側にあるような感覚、つまり筋肉そのものが骨であるような誤解をしているということです。

このことをみなさんの実感を頼りに少し探っていきましょう。まずじっと立って自分の腰の付近を感じてみてください。下腹部から腰全体を感じてみたとき、そこは一塊の大きな漬物石のようにわりと硬くてズドンと重い実感ではないでしょうか。腰のなかには骨格標本のように、まわりの筋肉や内臓とはまったく物性が異なる骨格が存在しているはずなのに、その違いをくっきりと感じられる人は珍しいと思います。

というわけで一般の人々は、骨とそのまわりの組織はぜんぜん別の物体で、働きもまったく違うのに実感としては、同じになってしまっているのです。つまり各部分において筋肉に骨の代用をさせてしまったり、骨本来の支持作用を骨から奪い取ってその何%かを筋肉に依存してしまったりということが、身体の各部分において起きているということです。

このことが〝究極の身体〟とレギュラーの身体を分ける、全身の組織にわたってすべてのパーツ同士の間で起きている現象として示した、組織分化ということなのです。

その実例を今度は骨と筋肉ではなく、骨と骨で見ていきましょう。まず背骨です。背骨は7つの頚椎と12の胸椎、5つの腰椎、仙骨、尾骨で構成されています。これら26個の骨は全部別々の骨で、鎖状につながっているだけなのに、多くの人にとってはある程度しなりのあるグラスファイバーのような1本の棒として感じられてしまっているのです。同じようにその背骨のまわりの筋肉とも区別がつきにくくなっています。だから背骨を感じてみてくださいといわれると、解剖学的な知識から「この辺なのかな?」と頭に浮かべてみるのが関の山で、実際に背骨が体幹部中央の裏側に筋肉とはっきりと別のものと認識され、しかも26個の細かいパーツに分かれている実感があるというのは、ふつうでは考えられないことでしょう。

だったら〝究極の身体〟を持った人ならば、そこまで細かい実感があるのでしょうか? その答えはイエスです。100%〝究極の身体〟を体現している人物というのは、実在しないので厳密にいうとこれは推測になりますが、〝究極の身体〟にある程度近づいた人たちの身体に対する実感を尋ねてみると、ふつうの人に比べあきらかに骨と筋肉の違い、あるいは背骨の1つ1つやそのまわりの細かい筋肉について、より感じる傾向にあります。だからその彼らのさらに先をいっている〝究極の身体〟の持ち主ならば、そのすべてを感じられるだろうという推測は正しいと思います。ただし、〝究極の身体〟の持ち主が解剖学者のような知識があるとは限らないので、その骨や筋肉の名前をあげて説明できないこともあるでしょう。さらにもしその人が原始社会に住んでいる人であったら、骨と筋肉という言葉も知らないかもしれません。

その最たるものが野生の動物たちです。たとえば海の中を時速100km(最高速度は時速160kmという説もある)もの猛スピードで疾走、いや疾泳するカジキマグロに尋ねてみても、骨と筋肉の関係について説明してくれることはないでしょう。しかし彼らは間違いなく実感として骨の1個1個から筋肉の1つ1つまですべてを分化して感じているはずだと私は考えております。

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