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『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
  • ※現在は、販売しておりません。
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    「究極の身体」を体感してほしい

第16回(2008.10.21 掲載)

3時間目 「脱力と重心感知」を読む

先日、私は某大学を訪ねてその大学のスポーツ科学の教授たちと会合・会食を行ってきました。先方の方々は一様に原著『究極の身体』に興味を持ってくださっていて、「もう新しい時代を迎えなければならない」という共通の認識をお持ちだったのです。それで「脱力」や「センター」といった話題で大いに盛り上がったのですが、とくに「センターとはなにか」ということに、みなさんの興味が集中したのです

この「センター」とは、原著をはじめさまざまな書籍で説明してきたとおり、潜在意識のなかで身体の重心線とまったく同じ位置、あるいはその重心線に沿うような形で直線上の意識が形成されたものです。重心線というのは物理学的なものなのでブロンズ像にも存在するし、動きの鈍い人にだって当然あります。そのブロンズ像にもあるような物理学的な重心線というものが、潜在意識下に「センター」という意識が形成されることで、人間の身体運動の機能を変えていくパラメータ(媒介変数)になるのです。

こうした説明を件の大学の方々にしたところ、大いに納得していただいて「やっぱりそういうものを理論装置として新しいバイオメカニクスを立てていかなければならない」という話になったのです。つまり「意識」というものをバイオメカニクスという学問を進めていくときの必須不可欠な装置にしていかなければならない時代になったのでは、ということです。

でもこの話にはいくつかの前提があるのです。まず重心と重心線ですが、ひとつの剛体には1個の重心と1本の重心線を導くことが可能です。では人間の身体の重心は何個で重心線は何本でしょう?

グッと力をいれて身体を固めた状態にすれば、バイオメカニストでも「重心は1個で重心線もほぼ1本だと思います」と答えるでしょう。しかし、全身を脱力させてグニャグニャに崩れ落ちるようにしてしまったらどうでしょう? つまり脱力をして、ある時間のなかで身体が複数のパーツに分かれたような状態になってしまうと、重心も重心線も1つではなくなってしまうはずです。本当に脱力のできる身体ならば、まさにそういう状態が起きるわけで、さらにいえばいくつのパーツに分かれるか分かれないかも自由自在に制御できるようになるのです。このようにパーツとパーツの連動関係を自由自在に制御できるのも“究極の身体”なのです。

「組織分化」のところで話したとおり、“究極の身体”では身体がいくつものパーツに分かれるのです。そしてよりたくさんのパーツに分かれれば分かれるほど、より“究極の身体”に近づくのです。人間の身体には約200個の骨があり、筋肉だとおよそ500ほどにもなります。私は内臓も運動器官だと考えていますが、骨格と筋肉だけに限っても約700のパーツが身体にはあるのです。したがってそのパーツをまず単純化して、より700に近い数にバラバラに分離させ、一方でそのバラバラのパーツ同士が自由自在に関係できるのが“究極の身体”なのです。

分かりやすいようにそのバラバラのパーツを仮に3つとすると、“究極の身体”の重心感知というのは、その3つのパーツ同士の自由度がもっとも高いときには3つの重心および重心線が現れ、その3つを感知しているのです。でもその3つのパーツは、常にバラバラなのではなく、あるときはピシッと連結してみたり、あるときはその中間だったりするわけですから、その3つのパーツの連結関係が少し粘り強くなってくると、より剛体に近づくので、それぞれに重心および重心線を持つという性質を持ちながらも、3つ合わせて1個の重心と1本の重心線になるという性質も出てきます。そしてその強さは状況に応じてアナログ的な比率で変わってくるのです。つまり個人のなかにおいて感知しなければならない強さというのが変わってくるということです。これがもし3つのパーツが空中分解したように完全にバラバラになってしまえば、重心と重心線は各々3つですし、反対に完全な剛体になってしまえばそれらは各々1個です。

しかし、人間の身体は完全にバラバラになることも完全な剛体になることもありえないので、重心・重心線は強さの比率ということになります。だからたとえば脱力してゆるゆるの状態になれば、各パーツがそれぞれ30%ずつで、3つ合わせた重心と重心線の比率が10%の合計で100になったり、反対に身体をガシッと固めたときは、3つ合わせた重心線が91%で、それぞれが3%ずつという比率で感知する必要が生まれるのです。

しかも現実の身体のパーツは3つではなく、筋肉と骨格だけでも700もあり、さらに内臓などを加えればもっと数は増えるのです。それらの連結関係の変化に合わせ、重心感知をする比率も瞬時に変えていかなければならないのです。これが“究極の身体”の重心感知の世界です。

したがって“究極の身体”の重心と重心線は、常に重層構造になっているのです。次の図のように最上層では全身をまとめ上げた1つの重心と重心線があり、最下層では1000近い重心と重心線に分かれます。そして下の層で分かれたものはより上の層では1つにまとまります。

  • 重心・重心線のヒエラルキー
  • 重心・重心線のヒエラルキー
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前の時間の講義で「肩包体」と「肋体」の話をしましたが、「肩包体」と「肋体」にはそれぞれ1本ずつ重心線がありますが、その一方で「肩包体」や「肋体」を構成する肋骨の1本1本や鎖骨、肩甲骨などにもそれぞれ重心があり、重心線があるのです。だからこれはちょうど図のようなピラミッド状の組織になっているのです。つまり「組織分化」という言葉のとおり、身体はまさに組織であり、それらが一つひとつ絡み合いながら動きの一つひとつのプロセスで瞬時に変化していくのです。

肝心なのはここからです。重心および重心線が物理学的にこのように変化していくときに、潜在意識の世界でも物理学的な重心と重心線に合わせて意識としての重心と重心線を形成していくということです。その意識としての重心線を「センター」と呼ぶならば、「センター」は無数といえるほどに存在しうるものであり、そのなかの代表的な1本が、体幹中央部を天地に貫いている例の「センター」なのです。この事実を知らずに“究極の身体”を理解することはできません。

こうした“究極の身体”の正反対のポジションといえるが高齢者の方々です。例にするのは失礼だとは思いますが、とくに股関節まわりが固まって、歩くときもわずか5センチ程度しか歩幅がとれなくなっているような方だと、おそらくバランスを制御・感知する機能も衰えてしまっているでしょう。そうした人の身体だと、パーツの分かれ方が極端に減ってきます。そうしたときにはじめて「センター」がほぼ1本だけという世界に近づいてくるのです。もっとも、歩けるうちは厳密にいうと「センター」が完全に1本だけということはありえませんが……。

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