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『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
  • ※現在は、販売しておりません。
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    「究極の身体」を体感してほしい

第28回(2008.01.13 掲載)

(前回からの続き)人類はむかしから「中心」が好きだった

このことを踏まえたうえで、身体のことを考えていきましょう。まず四足動物、チーターの走っているシーンを思い出してください。チーターが走るとき、その楕円に近い体幹部はX・Y方向に波打ちながら肋骨がずれ動くという独特の運動を行います。ではその運動の中心はというと、それは肋骨のなかにあります。そしてその肋骨のなかの「中心」を一点に限定できるかというと、楕円の中心が限定できないのと同じように、肋骨の波動運動も当然限定できません。いわば中心になるところもいっしょに運動しているからです。

チーターに限らず動物が走るときというのは、趣味で走っているわけではなく、厳しい生存競争の場で走っているわけですから、方向、スピードが定常化した走りになることはありえません。でも仮にチーターが定常化した走りをしたと想定すれば、その肋骨のなかの「中心」のようなものはある軌跡を描きます。しかしそれは決して一点ではありません。

  • 疾走するチーター(右)
    この骨格標本の中心はどこでしょう?(左)
  • 疾走するチーター<br />この骨格標本の中心はどこでしょう?
  • クリックすると拡大画像がご覧になれます。

同じような見方はさまざまなもので可能です。

たとえば写真の骨格標本の中心はどこでしょう? やはり仙骨か腰椎付近だと思う方が多いのではないでしょうか。しかし私の意見は違います。この骨格標本の中心は、骨格模型を吊り上げている部分です。またそのステーと四つのキャスターのアームが集合する部分も「中心」でしょうし、四つのキャスターが四つとも中心ということもできるでしょう。

これはとんちでもナゾナゾでもありません。写真を見た瞬間、みなさんは骨格模型の中心について考えだしてしまったと思いますが、それも典型的な中心思想なのです。

骨格標本全体ならその重心が中心なのでは? と考えた人もいるかもしれません。その重心を大雑把に考えると、模型の両足の大腿骨と大腿骨のだいたい真ん中あたりになるでしょう。でも重心というのはおかしなもので、模型の膝を折り曲げて足の骨を高い位置に持っていったり、身体を横にしたりすると途端に重心の位置は変わってしまいます。

これらのことから分かるとおり、「中心」というのはどのような規模で見るかによっても変わってきてしまうものなのです。

人間存在は相対的

さて、いよいよ人間の身体の中心について見ていきましょう。人間の身体の中心として最初に挙げられるのは、原著『究極の身体』でも紹介したように足裏です。足裏は「地球の重力に対する抗力をもっとも発揮している一点」を含むものですから、中心であることに疑いはありません。崖っぷちや戦場など、足を滑らせることが命取りになるというシチュエーションはいくつもありますが、そうした瞬間で考えると、より大きな空間構造で見てみると足裏は丹田よりも重要だといえるでしょう。そのことを潜在意識下で把握できていないと、肝心なところで足を滑らし、窮地に陥ってしまうのです。

だからそうした足元が滑りやすい危険なところで、いかに臍下丹田を決めたとしても転ぶことは防げません。ところが臍下丹田が弱くても、もっと大きい空間での中心である足裏を潜在意識下で中心化できていれば、滑って転ぶことは防げるはずです。

同じことをスキーで考えてもらっても結構です。スキー場でリフトに乗って山頂まで行き、そこからひとたび滑り出したら丹田だけをいくら高めても無力です。どんどんどんどん加速していくときに、ヘタに丹田だけ決まっていると、やがて猛スピードで松の木などに激突してしまうでしょう……。待っているのは”死”です。

これは非常に極端な例ですが、この例から気づいてほしいことは、人間存在は相対的だということです。にもかかわらず、だんだんと中心思想を持つことで絶対化していきやすい傾向があるのです。でも実際にスキーのワールドカップで優勝するような選手達は、数えきれないほどのたくさんの「中心」を同時に意識し、あらゆる局面においてそのたくさんの「中心」に加重するのです。

もう少し詳しく説明しますと、全身に点在する「中心」に数値を当てはめ、たくさんある中心に対し、あるところは8%、またあるところは3.5%とそれぞれ中心度は何%という重みづけをするのです。そして結果として全身に無数にある「中心」の合計が100%になるわけですが、その割合はアナログ的に瞬時に変化していきます。なぜなら非常に単純に考えても、右ターンのときと左ターンのときが同じ中心加重ということはありえない話だからです。また足裏に対する前後の身体の位置というのもターンの開始から終了まで時々刻々変化するので、前後方向でも「中心」は絶えず変化します。さらには重心の高さも変われば力のかかり方も変わりつづけます。

このようにじつにさまざまな条件にしたがって、常に「中心」の重みづけという意味での加重の数値がアナログ的にどんどん変わってくるのです。そしてこうした超流動的で変動的な運動を要求されるのが、スキーという種目なのです。

にもかかわらず、日本では伝統的に「丹田」=「肚」あるいは「腰」というものを中心に据えるのが好きですから、「肚・腰」を絶対的な中心にしようとした人々も少なからずいたようです。そうした人たちは、直接積極的に「肚や腰の一点を中心にしよう」と訴えたわけではありません。しかし事実としてそういう考えから生まれた日本特有のスキー技術の体系があるのです。それが全日本スキー連盟が長い年月かけて確立した「SAJスキー教程」です。いわゆる一級、二級という資格を決めるバッジテストというものは、まさに肚・腰の中心思想からできあがっているのです。だから指導者によって若干の違いはありますが、肚・腰を中心に、膝はどの位置にくればいいのかとか、肚・腰を中心に上半身は何度傾けたほうがいいというような発想でスキー技術というものを捉えて、指導・普及を行ってきたのです。

その結果、全国のスキー場でほとんどの日本人がそうしたスキー指導を受けながらやってきて、日本特有のフォーム偏重の横ずれ成分の大きい硬い滑りができあがってしまったのです。いうまでもなくこうした滑りは、世界の一流スキーヤーの滑らかで快適な滑りには程遠く、滑り終えると非常に足腰に疲労が溜まり、とくに腿の前面がパンパンに張ってしまいます。

しかし、スキーという運動はそもそも多重中心で、その中心がアナログ的に変化する運動構造なのですから、そうした視点から日本のスキー教程を見ると、それがたいへんな一点中心思想に影響された身体運動開発だったということが分かります。

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