ホーム > 日米政治家の本質力を解く! 第15回 吉田茂(4)

日米政治家の本質力を解く!

鳩山、オバマ、小沢、麻生…、最先端の身体意識理論で分析する現代日米政治家の真の実力とは!?

  • 高岡英夫
  • 高岡英夫[語り手]
  • 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
  • 松井浩
  • 松井浩[聞き手]
  • 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(いずれもメディアファクトリー)、「インコースを打て」(講談社)等がある。

第15回 吉田茂(4)(2009.11.20 掲載/2009.12.18 DS図B公開)

ムッソリーニ首相を前に一歩も引かなかったのは、背中と腰に形成された強力な身体意識があったから

――他に、吉田茂の身体意識の構造(ディレクト・システム 以下DS)で特徴的なところはありますか。

※「身体意識」とは、高岡が発見した身体に形成される潜在意識のことであり、視聴覚的意識に対する「体性感覚的意識」の学術的省略表現である。『センター・体軸・正中線』(ベースボール・マガジン社)のはじめに(1ページ~)、序章(17ページ~)や『身体意識を鍛える』(青春出版社)の第2章「達人たちの〝身体づかい〟7つの極意を知る」(45ページ~)で詳しく解説しています。

高岡 強力な前進力、上昇力をもたらす「流舟」ですね。腰から背中にごうごうたる規模で入っています。これに関しては、ムッソリーニとの会見で有名な話があるでしょう。

――駐イタリア大使となった昭和5年、初めてムッソリーニ首相に挨拶に行った時の話ですね。国際慣例では、迎える側が挨拶に来た客に歩み寄り、歓迎の意を表すことになっているそうですが、吉田は、イタリア外務省から「あなたの方から歩み寄ってほしい」と事前に伝えられていた。しかし、吉田は、慣例に従って直立不動で待ち続け、ムッソリーニに歩み寄らせたのです。この吉田の態度に、ムッソリーニは激怒したといいます。それにしても、相手はファシズムの創始者で、当時はバリバリの独裁者でしたからね。普通なら、「はい、わかりました」と従うでしょう。当時、吉田は52歳で、アジアの片隅の新興国から派遣された大使に過ぎなかったわけですから。

高岡 そう。当時は一外交官なんですよね。それなのに、ムッソリーニを前にして、一歩も引かなかったわけでしょう。いくら国際的な作法があったとしても、あの独裁者に対して一歩も引かなかったのは、「流舟」という身体意識があったからなんです。ごうごうたる熱性の潜在意識に、背中を強烈に押されているからなんですよ。さらに、腰にできた身体意識にも、凄まじい力で支えられていました。この腰にできた身体意識もすごくて、超巨大なブルドーザーのブレード(排土板)のようなものに下から腰をガシッと支えられていて、それが自分を動かしてくれている。吉田は、その超巨大なブレードに乗っかっているだけなんです。こんな潜在意識が働いていれば、目の前に誰が現れようと後へは引かないでしょう。もっといえば、後へ引かせてくれないんですよ。

――ムッソリーニは、吉田の態度に激怒するのですが、後に一目置くようになるんですね。それは、やはり、吉田にこうした身体意識の構造があるからですね。つまり、人物としてのスケールの大きさをムッソリーニも認めたからで、これが孫の麻生太郎だったら、「無礼者!」と一喝されて終わりでしょう。

高岡 前回公開した鳩山一郎のDSは、孫の鳩山由紀夫とも似ていましたが、麻生太郎と吉田茂とでは形態も全く違いますし、そのスケールも天と地ほど違うわけですからね。アジアの新興国の外交官が、イタリアの独裁者にも認められてしまうのは、吉田のDSが、当時からかなりのスケールで形成されていたから、ということが分かりますね。

――そういえば、吉田は、戦時中、ミッドウェー海戦での大敗を好機とみてスイスに赴き、和平工作を行っています。

高岡 あの段階で戦争が終わっていたら、その後の沖縄戦も、本土空襲も、原爆の投下もなかったわけですからね。結局、その和平工作は成功しないのですが、具体的な行動を起こさせる裏には、スケールの大きなDSがあり、戦後、そのDSがますます強く発達して講和交渉を成し遂げたといえますね。

次回へ続く>>

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