高岡英夫の新刊『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』座談会
【座談会参加者】
高岡英夫
(運動科学総合研究所所長/
『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』 著者)
- 北郷秀樹さん
- (会社経営者/
剣道教士七段)
- 藤田竜太さん
- (自動車体感研究所
所長/武道指導者)
- 斎藤正明さん
- (旅行会社企画担当/極意武術協会)
- 長谷川尚美さん
- (ゆる体操指導員/
舞台俳優)
高岡英夫の新刊座談会(3)(2009.06.23 掲載)
刀を斬り良いように、自由に動けるように身体を使っていくことが、言葉を相手にどう伝えるかということに繋がってくる
長谷川 私は舞台俳優をやっているので、高岡先生がさきほどお話された「言葉を伝える」というところに私はたいへん強い興味を覚えました。刀を斬り良いように、自由に動けるように身体を使っていくという点が、言葉を相手にどう伝えるかということに見事に繋がってくるんですよね。
舞台俳優は、日常会話と異なり、広い空間の中でどのように発声したら音が明瞭に聞こえ、相手にきちんと言葉を届けることができるかということについて真剣に問わなくてはいけません。そのために、調音・構音作業(※)を通して台詞を組み立てることが、ものすごく重要だと私は考えているんです。もちろん、そこには伝えるという非常に明確な目的があるわけです。自分の個人的な感情や思いではなく、言葉を明確に伝えていくということ。
※調音=音声の歪みを直すこと/構音=調音した音声をさらに高度な専門的手法によって、全身に共鳴させていくこと。
そのような意味で、宮本武蔵の動きを実際学べる「剣聖の剣・宮本武蔵」は私にとってすごく面白いし、俳優をやっていて本当に良かったなあと思っているんです。本書を拝読して、セミナーに参加して、俳優にとって一番大事なことを再認識させていただきました。
たとえば宮本武蔵の身体意識体現に挑戦したときに、結果的に生まれてくる身体の状態や心の状態が、より本来の姿に近い武蔵像を発見する助けになる。それは本当にわくわくするような面白い体験です。
「マルクロ武蔵論」で高岡先生もご指摘されていましたが、武蔵像を構築するときにパーツパーツを集めたところで本当の像にはならない。西洋の還元主義で陥りがちな点として、パーツパーツを、たとえばある人の人生があって、こういう環境、こういう状況、こういう性格であるというようにパーツパーツを細かく設定していくわけですが、それを寄せ集めたところで本当の意味での一人の人間にはならない。
日本など東洋古来からのホーリスティックな発想からいうと、一つの像にまとめあげるにはそれらすべてを根本から支えているものがある。それが高岡先生が発見された身体意識であるわけじゃないですか。それは本書を読んでもわかりますし、実際に講座を受けたことで事実としての理解が進みましたね。
※「身体意識」とは、高岡が発見した身体に形成される潜在意識のことであり、視聴覚的意識に対する「体性感覚的意識」の学術的省略表現である。『センター・体軸・正中線』(ベースボール・マガジン社)のはじめに(1ページ~)、序章(17ページ~)や『身体意識を鍛える』(青春出版社)の第2章「達人たちの〝身体づかい〟7つの極意を知る」(45ページ~)で詳しく解説しています。
高岡 皆さんがよく知っている今の有名な俳優で、言葉が見事に伝わる人と、伝わらないけど有名だけの人と、それぞれの代表を挙げるとしたら誰ですか(笑)。
長谷川 私が言葉が見事に伝わる俳優を挙げるとしたら、白石加代子さんですね。2005年に紫綬褒章を取られた方です。一方、言葉が伝わらない代表を挙げるとすると、アイドルとか、大河ドラマとかに出ている俳優ですね。もちろんそうした中にもそうでない方もいますけど、言葉がいわゆる口喋りになってしまって、ペラペラペラペラ話してるだけになっている人が多いように思います。そういう人の言葉はまったく伝わってこない。
高岡 石原裕次郎なんて、どうだったんですか? 寺尾聰のお父さんの宇野重吉なんかは良かったですよね。
長谷川 そうですね。裕次郎さんやと三船敏郎さんなどは、言葉が何を言っているか聞き取りにくいんだけれど、言葉の伝達とは別の魅力が有る役者さんですよね。
高岡 彼らはだって言葉を伝えようとは思っていないでしょう、最初から。
一同 (笑)。
長谷川 何を言っているのかわからないけれども、やっぱり良い役者だなと。
広い心の中で濁りなく、清らかで、明るいスペースの中ではじめて知恵が自由運動できるようになっている
高岡 三船敏郎は、存在を伝えようとしていたんでしょうね。伝わるというのは別に言葉だけからではないですからね。その話を久しぶりに話したからふつふつと思い出してきたんですけれど、伝えるのに的確な言葉が見つかってくるんですよ、いったん使われ始めると。その背景には、もう命懸けというほどではないにしても、武蔵が「きる」という言葉で言っているレベル・内容に近い形で「伝え切る」からなんだろうと思うんです。つまり「○○し切る」というように「切る」という言葉で表現するのが、それなんだろうと思うんですよ。
そのことが相手役の心を動かして、お互いの心のより深いところ、より広いところまで繋がり合っていく。これはたぶん、武蔵が言ってる「広い心の中に置くまっすぐなもう一つの心が濁ってない、澄んでいる状態ではじめて知恵が働く」ということとまったく同じことだと思うんですよ。僕はそのくだりについて、本書では「知恵も自由運動するスペースが必要」という現代の運動科学的な立場からの解釈をしました。日本語でも英語でも知恵はあるわけです。それが自由運動し出すから、思わぬ何かが見つかってくる、見事な繋がりになっていく。そして相手の中でも生まれてくる。それが「センター・トゥー・センター」ですよ。
広い心の中で濁りなく、清らかで、明るいスペースの中ではじめて知恵が自由運動できるようになっている。人間の心身というのはそういうメカニズムになっているんだと、武蔵が言っているわけですよ。僕は本当に見事な記述だなと思いましたね。現代人でもインテリジェンスのある人たちは、全員感動するくだりなんじゃないですか。
こうしたら良いんじゃないかっていうイメージに捕われると、捕われた瞬間に記号的な動きになってしまう
北郷 新刊の中に「『うくる』『はる』『あたる』などといったワザを使おうと思うから、斬ることが疎かになる」って言葉がありますよね。僕はそこにたいへんな感銘を受けました。
「剣聖の剣」の講座で二刀の対人稽古を行うじゃないですか。あのときにどうしても相手の刀に対してぶつかっていこう、当たっていこうとすると、なんか本来の動きとは別の固い動きになっちゃうんですね。でも高岡先生に「素直に前に行きなさい」って言われたとき、スコンって変わってしまった。そのときに「なんでこんなに変わってしまったんだろう?」っていう不思議な気持ちになりました。自分が相手の中にただ滑り込んでいくっていう感じだったんです。その滑り込んでいく動きは、無理に作っている「カッカッ」っていう記号化された動きとはまったく別次元なんですよ。
僕はこの「剣聖の剣・宮本武蔵」をやってて、そのことは本当に目からウロコが落ちましたね。身体が「スコン」って相手に吸い込まれていって、相手が切れてるっていう世界は今までまったく味わったことのない、あり得なかった世界ですから。でも残念ながら一度できても、それは二度三度と続かないんですね。できた途端に自分で記号化しちゃうんでしょうね。またこうしたら良いんじゃないかっていうイメージに捕われてしまい、捕われた瞬間にスティッフな記号的な動きになってしまっているんです。
高岡 良いイメージ、うまくいったことの再現を狙ってしまうからですね。
藤田 でも会心のファインプレーの記憶を消すというのが、凡人にはきわめて難しい。
13歳のときの真剣勝負があまりにも見事だったがゆえに、武蔵ほどの天才でさえ最後は我執のとりこになった
高岡 でもね、天才にも難しかったということですよ。武蔵ほどの天才でも難しかったんです。僕は最後は我執のとりこになったんだろうなと見ているんですけど、だって我執のとりこにでもならなきゃ、巌流島の決闘で時間には遅れてきたり、太陽は背負ったり、木刀の長さをわからせないようにしたり、あのような最悪な戦いはしなかったでしょう。もう本当に最低の勝負で、武蔵自身がもう嫌だ、限界だ、助けてくれっていっている声が聞こえる気がしますよ、私には。
藤田 でもそのような最悪、嫌だっていうどん底の体験があったところに、なんか人間らしい武蔵への共感が湧いてくるんですね。本当にただの天才でスーッと天理に達していたら、何の感情移入もできない。武蔵もどん底までいったんだなということに、なんか夢とか希望が感じられました。
高岡 本当だよね。僕は『五輪書』が読み解けてきたときに、各部分が整合性をもって解明できてきて、彼の人生というのがハッキリとそこから見えてきたんです。これは本当に共感が持てる人生だなと。私にももう散々なことがたくさんあるわけですよ。人に喋れないことだって一杯あるわけです。だけど、武蔵はそれよりもはるかに酷かったわけですよね、実際に何回も何回も人を殺してしまったわけですから。
お互いに命をさらけ出しあってやるんだから、真剣勝負というのはフェアな世界ですよね。だけど策略が入ってくると、お互いにだまし合いもあるわけです。だまし合いの可能性をお互いに前提にしながらやっているんだから、それもまた次元をかさねたフェアだといえばフェアなんですよ。でも武蔵が真に希求していたのは、フェアを越えたシンプルでピュアなフェアなんですよ。そこには余計なものなんて何もない。個人個人の一対一の対決だったら、もう戦略戦術もない、身体と術技の何についての考えもない。
一方、集団対集団だったら、戦術がやっぱり無心から出てくる。まさに水のように生まれてくる戦術。相手をなんとか権謀術数でなんとかしてやろうと悪意をさんざん練って生まれる戦術じゃなくて、本当に水のごとく生まれる戦術で勝つことが彼が真に希求したものなんですよ。そして、さらには戦略でさえもそうだったろう、と彼は考えていたのでしょうね。でも、なぜそこまでの強烈に希求するものが生まれたかっていうと、13歳のときの真剣勝負があまりにも見事なもので、28歳か29歳のときのその最後の体験、つまり巌流島の決闘があまりにも酷いものだったからでしょうね。