高岡英夫の新刊『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』座談会
【座談会参加者】
高岡英夫
(運動科学総合研究所所長/
『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』 著者)
- 荒木孝二さん
- (ゆる体操指導員
/剣道五段)
- 藤野安宏さん
- (製薬会社営業職
/極意武術協会)
- 山本昌宏さん
- (高等学校教員
/極意武術協会)
- 小竹志郎さん
- (整形外科医/
ゆる体操指導員)
- 武上良治さん
- (小児科医/
剣道三段)
高岡英夫の新刊座談会(5)(2009.07.08 掲載)
編集部 今回より、座談会のメンバーを一新して、その模様をお届けします。前回まで同様、高岡英夫の新刊『宮本武蔵は、なぜ強かったのか? 「五輪書」に隠された究極の奥義「水」』をお読みになって感じたことを思う存分語っていただきます。
前回は東京およびその近郊在住の方にお集りいただきましたが、今回は大阪およびその近郊と関西方面の方中心ですので、また一段と違った雰囲気になるのではないでしょうか。今回お集りいただいた5人の皆さんも武蔵の身体意識・操法と剣技を学ぶ『剣聖の剣・宮本武蔵』に加え、様々な武道・武術をご経験されてきている方ばかりですので、皆さんのご経験をふまえて本書の魅力をお話いただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。
『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』を読めば読むほど身体がゆるんでくる
荒木 いま私は、「剣聖の剣・宮本武蔵」、「極意武術協会」、「極意講座」などに参加しながら、身体をゆるめるトレーニングをしているのですが、それと同時に、幸いなことに私はゆる体操指導者なので、世の中にゆる体操を広めることを通して鍛錬ができるのです。つまり、ゆる体操を教えることは「ゆるんでセンターを身につけること」のトレーニングにそのまま繋がるわけですから、本当にありがたい仕事だなぁと思いながら指導させていただいております。今日はそのような立場からお話できればと思っています。
山本 いきなり本書の具体的な話になりますが、私は『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』(以下、『武蔵本』に省略)の第2章冒頭の「心を広く直(すぐ)にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、」というくだりの解説にまず引きこまれました。
つまり、この心の中の第二の心というのがセンターそのものなわけじゃないですか。そして「心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。」という文が続くわけですが、この一文が武蔵が本当に伝えたかった「ゆるむことの重要性」だったという事実を、高岡先生がこの『武蔵本』で明確に解説してくださったおかげで、身体をゆるめるトレーニングの深さと重みが本当にわかりました。
このような分析が実際にできるのは、運動科学者であり、かつ武術の実践をずっと積まれてきた高岡先生ならではだと思いました。
藤野 私は高岡先生の本をほとんど読ませていただいたのですが、この『武蔵本』から受けた印象というのは、今までにないものがありました。私は読書が好きなので何千冊と本読んできて、最近でも小説の名作を読んで感動することはあるんですけれど、この本を読んで受けた印象はそれらとも全く違いましたね。
それは、高岡先生の武術の弟子であり、ゆるむことを学ばせていただいて、本を読むと同時に、私なりの身体意識で感じられる喜びというものがあったからだと思うんですが、でも今までは高岡先生の本でもここまでの強い実体感を受けたことはなかったです。
具体的に言うと、本を読めば読むほど身体がゆるんでくるという体験です。長い間ゆるトレーニングを続けてきて、私もセンターが育ってきて軸がぶれないという自覚がでてきたんですが、しかしそうは言っても過酷な仕事などで体が固まる時があるんですね。そのような時に『武蔵本』を読ませていただいたら、読むだけでゆるんでくるんです。本当に不思議ですが、それは大変に手応えのある体感でしたね。
武上 私も同様で、読んでいる最中に身体意識の体感を得ました。身体が水になった体感です。別に私はこれで、武蔵を体現したわけでも、極意を得たわけでもないのですが、体感を得たというのは、まさに清明な自分の主観なので、ここでできるだけ正確に申し上げておきます。水といっても、ピチャピチャ、ポチャポチャというような水ではなくて、自分の身体が水柱になった体感です。高水圧で、音で言ったらズドーンとか、ドドドドドという重い感じ。まるで滝つぼの底にいるような。でも流れがあるというわけではなく、水でできた重い綱、ズッシリとした太いロープになったのかような体感なのです。
もちろんゆるみもあります。自分がこういうものだろうかと、頭で考えてたものとはかなり印象が違うと感じました。本サイトの「マルクロ武蔵論」で、高岡先生が『五輪書』をお読みになったときに、「著者と読者の間のシンクロニシティをベースとしたホーリスティックな伝播、共感を『五輪書』を媒介に実体験した」とおっしゃっていて、私も体と心を研ぎ澄まして本書を読みながら、時々剣の稽古をやっていたんです。ただひたと心身を研ぎ澄ました結果なんでしょうか、同じとはいえませんがそれに近似したといえるかもしれない体験をしました。
これはどのような因果関係があるのかは私にはわかりませんが、体感としてあったのは事実です。それだけの影響を与えるパワーがあの本には秘められているのだと感じています。皆さんも読んだ中で、体感や意識の変化はありましたか。
小竹 はい、私もありました。別の本になるのですが、高岡先生の『究極の身体』です。読むたびに身体の感触が変わっていくという体験をしました。『究極の身体』は、これまでに通して8回読ませていただいたのですが、『武蔵本』は残念ながらまだ2回目です。たぶんこれから読み込むたびに、身体の変化がわかってくるんだと思います。
『武蔵本』を読んで、先ほど武上さんが言われた「水の重さ」というのを、私も初めて感じました。今まで水といえば、僕の体の中ではシャブシャブという音が表すような軽いものでしかなかったんです。考えてみたら、水の底で泳げば、ものすごい重さなんですよね。まだ十分に体感はできていないですけれども、そのような世界が先にあるのだと感じてます。
ゆるんでる幸せな人間がいたら、そのことが伝わり、周りも幸せになる
藤野 この『武蔵本』を読んでからというもの、仕事を含め自分の人生における様々なことにおいて、正しい方向へ向かっていくための手掛かり足掛かりがさらに深まりました。私は最近、自分自身の武術の上達が客観視できるようになってきたと感じているのですが、私自身の仕事を振り返ったときにも、センターや下丹田、中丹田など各種の身体意識の状態を淡々と客観視している自分を発見し、本質はしっかり掴めて来ているんだと確認できてきています。
一方、世の中を見ていくと、上っ面ばかりで本質を見なくなっている人が増えてきたのではないかと危惧することも多くなりました。高岡先生のおっしゃる「センター・トゥ・センター」ではない付き合いが増えてきているというのを大変感じるんです。
もっと自分を成長させたい、もっとセンターを強くしたいと思ったときは、もう水にならないと、つまり徹底的にゆるまないと駄目なんだなということを教えていただけた。この本は、僕の人生を変える一冊になりましたね。
山本 そうですね。あの武蔵が生涯かけて天理、つまりゆるむことを追究し続けたということを本書で知り、ゆるむことの大切さに改めて気づかせていただきました。自分ではゆるむことの大事さに気づいていたつもりだったのですが、日々の生活を振り返ると、ちょっとしたことに囚われたり、仕事の中で固まってしまうことが多かったんです。
ところが、あの武蔵でさえそういったことに苦しんだということに深い共感を得られたことで、トレーニングへのモチベーションが上がったと同時に、日常の中でも徹底的にダラーッと水のように身体をゆるませる時間が前よりずっと長くなった気がします。
藤野 すべては、ゆるんだ体なんだなと。だから四の五の言う前に、まず体をゆるめて、本当に鍛えるところは鍛えることが大事なんだということ、そしてじつは徹底的に体をゆるめるという行為自体が鍛えることの本態でもあるということを身に染みて感じました。
例えば、営業の仕事などで私が初めての店へ後輩たちを連れていって、「よく見とけよ」って現場で指導するんですけど、私があまりにもリラックスしてるんで安心できるんだそうです。もちろん最初は頑な態度を取ってくる相手方もいるのですが、最後になるといい笑顔で「またいらしてください」って、向こうが必要としてくれるんです。空間が変わってくるんですね。ゆるんでる幸せな人間がいたら、そのことが伝わり、周りも幸せになるんじゃないかなと思います。それはすごいことですし、社会がよくなっていくためにも大変に大事なことですよね。