ニュルブルクリンク世界のツーリングカーの頂へ 高岡英夫×クラゴン×藤田竜太鼎談
- 高岡英夫
運動科学者、高度能力学者、「ゆる」開発者。運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長。東京大学卒業後、同大学院教育学研究科を修了。
東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、人間の高度能力と身体意識の研究にたずさわる。オリンピック選手、企業経営者、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」をはじめ「身体意識開発法」「総合呼吸法」「ゆるケアサイズ」など、多くの「YURU PRACTICE(ゆるプラクティス)」を開発。
運動総研主催の各種講座・教室で広く公開。一流スポーツ選手から主婦、高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。地方公共団体の健康増進計画などにおける運動療法責任者もつとめる。東日本大震災後は復興支援のため、ゆる体操プロジェクトを指揮し、自らも被災地で指導に取り組む。
著書は『究極の身体』(講談社)など100冊を超える。
クラゴン
レーシングドライバーとして、世界最高峰のドイツ・ニュルブルクリンクのレースで優勝するなど、専門筋を畏怖させる傍ら、ドラテク鍛錬場クラゴン部屋を主宰し、一般ドライバーの運転技術向上にも取り組む。「クラゴン」は日本自動車連盟に正式に登録したドライバー名。ゆるトレーニング歴は約16年。2012年6月のVLN4時間耐久レースで、日本人レーサー史上初のSP4Tクラス優勝を果たす。2014、2015年の2年に渡って最高峰の中の最高クラス、SP9クラスへ参戦した。本場ヨーロッパのレーシング界において、常識を圧倒的に覆す上達と結果を出し続けている。
藤田竜太
自動車体感研究所(ドライビング・プレジャー・ラボラトリー)所長。自動車専門誌の編集部員を経て、モータリング・ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。ゆるトレーニング歴も10年以上で、某武道の指導者という顔もある。
クラゴン、ついにツーリングカーレース世界最高峰の頂点クラスに出場編(4)(2017.06.27 掲載)
体調は最悪だったにもかかわらず、理想的なパフォーマンスが実現できた
高岡 あまりの体調の悪さに、欠場か、出場か思い悩んでいたクラゴンが、最終的に「出場しよう」と決断した理由は?
クラゴン それは……、「出来る」と思ったからです。決して確信があったわけではないのですが。
高岡 そうだろうね。最後の最後で、気持ちの振り子が「出来る」側に振れたんだろうね。
クラゴン そうみたいです。
高岡 さて、ここでクラゴンの2014年のレース時のBA(Body Awareness=身体意識の構造)図を見てもらっても劇的で面白いんだけど、その前にそのレースでのパフォーマンスがどうだったかを、クラゴン自身に語ってもらいたいな。
- 2014年のレースの模様を語るクラゴン
クラゴン パフォーマンスですか。体調は最悪でしたが、ドライビングは絶好調でした。
まず予選では、うちのチームのドライバー4名の中で僕が最初にタイムアタックをして、ほぼ全チームが最初のタイムアタックを終えた時点で、総合5位、クラス3位というタイムでした。
しかもトップとのタイム差も僅差で、1周約25kmのニュルブルクリンク(グランプリコース+北コース)でわずか6秒程度の差でした。一般的には多くのサーキットが1周3〜5km程度なので、通常のサーキットなら6周くらいの距離に相当するでしょう。しかも路面のコンディションや他のマシンを抜くタイミングでもタイムに大きな影響があるので、6秒というのは誤差の範囲に近いと考えられます。ちなみにそのトップタイムを出したドライバーは、F1ドライバーを経てニュルで活躍しているペドロ・ラミー(※)です。
※ペドロ・ラミー(ポルトガル人)/1993から1996年にかけて、ロータスチーム、ミナルディチームからF1に参戦。ニュルブルクリンク24時間レースでは、総合優勝5回の実力者。
僕は例によって、予選前日の練習走行で、はじめてニュル最速のSP9クラスマシン=メルセデスベンツSLS GT3に乗り、さらに予選ではじめて雨が降り、一度も経験していないレインタイヤでのウェット路面走行が予選でした。それなのにチームからは「それじゃ、とりあえずアタックは2周ね。よろしくー。」という軽い感じで送り出されまして(笑)。
もし予選で雨が上がらなければ、決勝で超一流の名門チームばかりの先頭集団からスタートできたはずだが……
藤田 ニュル24時間レースで5回も総合優勝をしているペドロ・ラミーの6秒落ちの3位のタイムというだけで、日本レース界の誇りに値するリザルトです。
高岡 しかも、1年ぶりのニュルで、はじめてのマシンに乗って、ぶっつけ本番だったと。
クラゴン はっきり言って、『この状況で6秒差なら、いつでも勝てるな』と思いましたね。
高岡 世界最速の座を争う、ニュルのSP9クラスでも優勝できる手ごたえを感じたわけだ。
クラゴン はい! はじめての雨で、マシンの状況がわからないまま、手探りで走ったわけですから、人並みに練習する機会さえあれば楽勝ですね。
でも、そのまますんなりいかないのが、いつもの僕の展開でして(苦笑)。
この予選でも、僕がアタックを終えたあと天候が急に回復して、路面も乾いてきて、遅いドライバーが乗っても速いタイムが出る状況になり、全チームがタイムを更新しはじめたんですよ。
その時すでに僕はタイムアタックを終えていて、チームメイトのドライバーに交代したあとでした。予選の順位はチーム内の誰かが出した最も速いタイムで決まるルールですから、僕のあとドライ路面で走ったチームメイトのタイムが、当然のごとくチームの予選タイムになってしまったんです。コンディションが良くなれば、どのチームもタイムをガンガン上げてきます。ですが、ウチのチームは僕が雨で速かった一方で、仲間のドライバーはドライでもあまりタイムを上げられませんでした。そのため相対的に順位が下がってしまったんです。
レースに「たら・れば」は禁句ですが、あのまま雨が上がらなければ、僕のタイムがそのままチームの順位となって、先頭集団からスタートできたんですが。
それは言いっこなしですね(笑)。しかしゼロに近い経験にも関わらず、いい走りができたので、自分のパフォーマンスには満足しています。
- 予選が総合5位なら、決勝では前にマシンがほとんどいない
絶好の位置からスタートできていた
この写真を見てください。もし予選が総合5位なら、150台以上参加している中で、この位置からスタートしたんです。当たり前ですが、前にマシンがほとんどいない(笑)。ここからスタートできるのは、毎年一度は総合優勝しているような超一流の名門チームばかりですから、ここに僕が割って入っていたら、じつに痛快でしたね。
ドライバーも、先のペドロ・ラミーのようなF1ドライバー経験者やヨーロッパの各自動車メーカーのワークスドライバー、あるいはニュルの主のようなドライバーだけが並べるグリッドだったので、惜しいことをしました。
高岡 ここが5番グリッドか……。
クラゴン 僕のアタックが2周ではなくて3周だったら、ペドロ・ラミーのタイムを上回ったでしょう。僕の場合、あと1周あれば、6秒上げるのは容易なことですから。
高岡 素晴らしいね。
クラゴンのパフォーマンスを目の当たりにして、当初難色を示したチームオーナーの評価が一変した
クラゴン これだけのパフォーマンスを発揮できたのは、高岡先生のまさに長年にわたるご指導の賜物です。おかげでニュルのSP9クラスのデビュー戦で、日本人として恥ずかしくないパフォーマンスをバッチリ見せることができました。
高岡 うん。いいね。それで決勝は?
クラゴン 決勝もなかなか一筋縄ではいかない展開でした。ゲリラ豪雨のような大雨が降ったり止んだり、天気が大荒れになりまして。十分な練習をしたマシンではないですし、体調も最悪でしたから、僕としては安定したコンディションで走りたかった…と思っていたんですが、雨が降るとドライビングはますます絶好調でした(笑)。
以前、雨のレースは得意でアドバンテージがあるという話をしましたが、このレースでも相変わらず調子が良かったです。
僕が雨の中であまりに速いタイムを出し続けたので、チームオーナー兼ドライバーのシュミッツさんが「自分は今回のレースでドライブしなくても構わない。ワタシがドライブする予定だった時間帯も、ぜひクラゴンに運転して欲しい」とまで言うくらいでして。そのシュミッツさんこそ、僕がチームのドライバーの候補に挙がったとき、難色を示した張本人ですから、代わりに乗れというのは最大級の賛辞だと思っていいんでしょうね(笑)。
- 雨のレースでの驚くほどの好タイムに、チームオーナーの評価が一変した
チームオーナーのシュミッツ氏(左)とクラゴン
高岡 面白いね。クラゴンのパフォーマンスを目の当たりにして、評価が一変しちゃったわけだ。それでそのシュミッツさんの代わりに、クラゴンがもう一回ドライブしたの?
クラゴン いや~、さすがに体調が悪すぎて無理だと、丁重にお断りしました。
高岡 それが正解だよ。なんといってもその体調では、本当に危ないからね。
クラゴン おっしゃる通りです。まず最初の予定のレース時間を走り切る体力、気力があるとは思えなかったですから、何とか完遂したところで、もう1回は絶対に無理です。
死の危険が伴うレース中では、常に冷静な決断が求められる
高岡 そういう時は、危ない、危ない。本当に危ない。そういうシチュエーションでは、レース以外のスポーツ、サッカーやバスケットボールなど一般的なスポーツだって十分危ない。いわんやレースやスキーといった競技では、死はすぐ隣にあるからね。断ってよかったよ。
クラゴン ええ。きっとそこで断ったので、2015年に「お前のスケジュールに合わせるから、もう一回ウチのマシンでレースに出てくれ」と言ってもらえたんでしょう。
高岡 それは間違いなくあるね。
だって、もしそのとき無理して乗っていたら、死んでいたかもしれないんだし。死んでいたら、次の年の話なんてないわけだから。
- 死と隣合わせのレースでは、無謀な挑戦は絶対に禁物だ
クラゴン 押忍!
高岡 達人もね、死んでしまうと、「達人」ではなく「死人」になっちゃうんだよ。
クラゴン・藤田 はっはっはっは。
クラゴン 死んだらクルマに乗れませんから。
藤田 霊柩車しか乗れない。
クラゴン 霊柩車だって運転できないし。
高岡 世界霊柩車選手権でもやるつもり? アホだな~(笑)。
クラゴン 脱線ついでに言いますと、日本の宮型霊柩車のように、クルマの後方が重くて、重心が高いクルマって、運転するとどんな挙動が出るのか気になりますね。
高岡 ホントにクルマ馬鹿なんだね。大丈夫だよ、運転しなくても、人生の最後には、みんな望まなくても乗れるんだから(笑)。
クラゴン オッス(笑)。
高岡 冗談はさておき、レースの話に戻ろうか。
クラゴン はい。というわけで、体調が悪い一方で、ドライビングだけは絶好調のままレースを走り切ることができました。しかしマシンを降りたあとさらに体調が悪くなり、レースが全て終わった夕方には、立っているのもやっとという状態になってしまって……。もっとも自分では、「レースが終わったからちょうどいいか」と思っていましたけど。
レース後の打ち上げは、ホテルから歩いて行ける近くのレストランだったんですけど、無理してなんとかスープを飲んだくらいで……。ほとんど食べられなかったですね。そこで新たなピンチが待っていたんです。
なんと驚いたことに……
(「クラゴン、ついにツーリングカーレース世界最高峰の頂点クラスに出場編(5)」へつづく)