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『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
  • ※現在は、販売しておりません。
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第8回(2008.08.26 掲載)

自然と文化「二重環境論」

人間というものは自然のなかから抜け出しかかっている存在だといわれております。なかには、人は自然とはまったく別の存在であるという自覚を持っている方もいるようです。そういう人でも病気にかかったりすれば、自らの自然性というものを思い知らされるわけですが、それでも非常に人工化された医療技術のお世話になって、できるだけ自分のなかの自然性というものを自覚しないような生き方を選んでいる人は多いと思います。

でも、私たちがいま置かれている状況を冷静に見てください。地球という自然、そしてそのなかに生息している植物や動物という自然、いわゆる生物という自然がどんどんどんどん失われていって、非常に深刻な環境問題に直面しているではないですか。そのような状況のなかで、自然回帰だとか、自然の復権だとか、そういう方向での環境の整備復活などを唱える運動が、世界的に広がりつつある傾向にあります。

こうした状況のなかで、私がどんな考えを持っているかといいますと、自然あるいは自然環境というのは二重構造をしているだろうということです。それをここで明確に説明しておきましょう。

  • 二重環境論モデル

まず、人間の環境というのは城に例えられるというのが私の考えです。その城は二重構造で、外堀と内堀から構成されています。この城のなかに人間の精神が棲まわっているわけですが、この城の外堀~内堀間はなにかというと、成層圏、つまり気体を含めた地球環境です。そして内堀のなかはというと人間の身体、したがって内堀そのものはその身体の外皮です。ですから人間にとっての自然環境というのは、この内堀のなか、そして内堀と外堀のあいだという2つが存在するのです。だから巨大な地球全体というのはこの外堀と内堀のあいだなのです。外堀の外、つまり成層圏の外側というのは、現実的に人類が生活できない環境ですから。というわけで、森林伐採や砂漠化、オゾン層の破壊等の今日騒がれている環境問題というのも、この外堀と内堀のあいだのことばかりを扱っているのです。

しかし内堀のなか、つまり人間の身体のなかも立派な自然環境の一部だということを忘れてしまってはなりません。だから私はこの“身体も環境”という捉え方がひとつ生まれてくる必要があると思うのです。ですから環境問題といったときは、内堀と外堀の間にある環境、つまり外なる環境と内堀のなかの内なる環境の両方を考えなければならないのです。

そして内堀のなかの環境について語るなら、原著の捉え方、考え方が非常に重要になってきます。たとえば体幹部を中心とした組織分化論などです。原著では、身体の各パーツの本来持っている機能構造にしたがって分化させ、そのことにより高度な機能を発揮するという考えを展開していますが、そうした本来身体に備わっている豊かな身体資源を有効活用できないことも、環境破壊そのものといえるのではないでしょうか。人間の身体のなかの可能性をどんどん封じ込めていくような生き方をみんなでしているということも、つまり環境破壊なのです。

このことに環境破壊という概念を当てはめるのには、抵抗があるという人もいるでしょう。でもこれは取ってつけたような安易な考え方ではありません。現実的にも論理的にも地球がわれわれにとっての環境であるように、身体も環境そのものです。ですから、その身体が持っている可能性をどんどん閉ざしていってしまうことで、環境破壊が起こるのです。そして環境が破壊された結果、環境は悪化するのです。悪化された状態でなにが起こってくるかというと、さまざまな疾病、半健康、さらには身体からくる慢性的なストレス状態、不機嫌、無気力、つまりは精神の悪化etc.というちょうど環境全体がもたらしてくるような非常に粘り強く、あらゆる角度から押し寄せてくるようなマイナスが身体のなかから起きてくるのです。そういう意味でまさに環境問題であり、環境破壊であり、結果として環境の悪化というものが起きて人々を蝕んでいるのです。

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