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『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
  • ※現在は、販売しておりません。
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    「究極の身体」を体感してほしい

第20回(2008.11.18 掲載)

(前回からの続き)“究極の身体”の水準で考える脱力

より“究極の身体”に近い人というのは、楊枝を歯と歯の隙間に当てるときでも楊枝の重心を感じながらやっています。ここでみなさん、「究極の動きは道具の重さを最大限利用する被制御系運動」というのを思い出してください。人間には脳ミソがあって、筋肉・骨格・内臓というのをコントロールしているので、たしかに制御はしています。しかしあたかもその人間が制御されてしまう存在であるかのように制御することに、私は「被制御」という学術的な概念を与えているのです。

その被制御系運動というものを、楊枝を例に語っていきましょう。楊枝というのはご存知のとおり、非常に細く小さいものですから指全体に力を入れてぎゅっと握ってしまうと重心感知がより難しくなってしまいます。ですから楊枝の重心感知をするためには、できるだけ軽くつまむことが肝心です。しかも楊枝の中心、つまり重心付近をつまむのではなく、できるだけ楊枝の後ろ端をつまむのがコツです。そうするとつまんだところ=支持点と重心点にある程度の距離が確保されるので、そこにモーメントが生じます。そのモーメントがあるために、楊枝を水平にしてつまんでいる力をゆるめると楊枝の先がストンと下に垂れてきます。この垂れやすい状態が、とても重心感知しやすい状態なのです。そうして重心感知できるようになると、楊枝の使い方が変わってきます。

上の歯に詰まったものをかき落とす場合、楊枝の後ろ端を最小限の力でつまんで楊枝の先端を歯茎のすぐ下に当てます。そしてつまんでいる指の力をさらに弱めると、楊枝の先はモーメントによって垂れ下がってきます。つまり楊枝の重さで歯に詰まったものを取るのです。私の経験からいっても、粉っぽい詰まったものなら指に力を入れなくても、このモーメントを巧みに利用するだけで落とせます。ところが鶏肉ですとか竹の子の繊維のようなものが詰まってしまうと、楊枝の重さだけでは当然取れないことがあります。

そうしたときに「被制御系運動」は起きるのです。具体的には楊枝が垂れ下がろうとする運動に導かれて、その運動をもっとも生かす形で指の力を最低量だけ加え足してやるわけです。これが被制御系運動です。

鶏肉、あるいは竹の子の繊維が歯に詰まって不愉快なとき、それを一刻も早く取り除きたいという気持ちはわかります。でもだからといって楊枝に力を入れてほじくるようにしてはいけません。“究極の身体”に近い人、もしくは近づきたい人は、歯と歯の間に楊枝を刺し込むときからハラハラハラと楊枝の先がいまにも垂れ下がるような力で楊枝を使うのです。そうすれば、絶対に歯肉や歯槽骨を痛めません。なぜなら楊枝の先が歯肉の抵抗を受けただけで指が楊枝からずれてしまうほど弱い力でつまんでいるのですから。逆にそういう弱い力でつまんでいると、詰まっているものの一番弱いところ、つまり裂け目の生じやすいところにしか楊枝の先端が入っていきません。そこでハラハラハラと楊枝をゆらし、楊枝の重さにしたがってわずかに指の力を加えると、最小の力で歯に詰まったものが取り除かれていくのです。

高岡英夫、被制御系運動でカボチャを切る!

こうした「被制御系運動」は、包丁でなにかを切るときにも利用されます。たとえば硬いカボチャを切るとしましょう。私の家では父も母もカボチャが大好きだったので、八百屋にカボチャが並ぶようになると母親がよく買ってきたものです。そして家に帰ってきた私の母は「ひーちゃん、ひーちゃん」と私を呼ぶのです。なぜかというと、そのカボチャを切るのは我が家では私の仕事だったからです。

最近のカボチャと違って、当時のカボチャは本当に硬く、とくに表面の部分が硬いので切るのにはけっこう力が必要になります。でも力を入れすぎると表面が切れてなかの柔らかい部分に刃が達した瞬間に包丁が急加速し、それであせってビクッと力が入り、刃筋がそれて手を怪我したり、丸いカボチャに大きな力を加えるために、その力の角度に狂いがあるとカボチャが転がりかけて手を切ったりするという二通りの危険パターンがあったのです。私の母親はそのことをよく知っているから、カボチャ切りを私に頼んだのです。

そして私はというと、そうした硬いカボチャを切るのにも「被制御系運動」を使っていたのです。

手を怪我することがあるぐらい表面が硬いカボチャを「被制御系運動」で切るといわれても、なかなかイメージしにくいと思います。事実、包丁の重心線と包丁の面がなす中心線をピッタリと合わせて、包丁の重みだけでカボチャを切ろうとしても、包丁の刃は1mmもカボチャの表面に入らないでしょう。ですから一般の方々が、そうした硬いカボチャを目の前にすると、もう見ただけで包丁の背に左手をのせて、とにかく力で切ってやろうと身構えてしまうはずです。でもそれでは「被制御系運動」のイメージは永遠に湧いてこないでしょう。

そこでそんなみなさんは、豆腐という食材を思い出してください。これはとてもすばらしい食材です。世の中にもしカボチャしか題材がなければ、包丁を使って物を切るという身体運動において「被制御系運動」を理解することは難しかったでしょうが、豆腐を使えばどなたでも「被制御系運動」ができるということはこういうことだったのか、というのが実感できると思います。

試しに包丁と豆腐を用意してみてください。まずゆる体操を行って全身をゆるゆるにゆるめます。それからご家庭のなかで一番重たい包丁を用意してください(包丁を持ったままゆる体操を行うのは危険ですので、順番を守ってください)。そしてその包丁が重く感じられるぐらい、できるだけゆるく持ちましょう。あの宮本武蔵の肖像画の刀の持ち方が参考になります。具体的には小指と薬指がねっとりとした液体に変化して、じわっと圧力が伝わるようにして(この力のかけ方を私は「液圧」と呼んでいます)、人差し指と親指にはほとんど力を入れません。その状態で静かにゆったりと包丁を上下に振ってみましょう。包丁の重さがよ~く感じられると思います。そうしたら包丁の重さをよ~く感じつづけながら、包丁の刃を豆腐の表面に接し、その重さだけでもって豆腐を切ってみましょう。とても簡単に切れるはずです。

その切り方で絹ごし豆腐、木綿豆腐、焼豆腐、厚揚げ、こんにゃく…と柔らかい順に切っていきましょう。すると豆腐のうちは包丁の重みだけで切れると思いますが、そのうちやがて包丁の重みだけでは切れなくなります。そのときに包丁の重みだけでは足りない何グラムかの重みを最低量だけ加えてやる。そしてより硬いものを切るときも同じように本当に足りない重みだけを過不足なく加えていく、これが「被制御系運動」で切るということなのです。だから私がカボチャを切るときも、カボチャを切るのに2kgの重みが必要だとしたら、2kgから包丁の重さ分を引いた分だけしか力を加えないのです。仮に包丁が123gだったとすると、1877gピッタリの力を加えるのです。そうすれば怪我をする心配もありませんし、カボチャもきれいに切れますし、包丁の刃を傷めることもありません。

このように考えると、「被制御系運動」は日常生活のありとあらゆるところで行えるのです。たとえば掃除機で床を掃除するときも掃除機自体の重さにリードされ、電話をかけるときも最小限の力で受話器を持ち上げるetc.

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