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『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
  • ※現在は、販売しておりません。
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    「究極の身体」を体感してほしい

第25回(2008.12.23 掲載)

(前回からの続き)なぜ“究極の身体”になるのは難しいのか

ただし、四足動物ならみな同じように「体幹主導系」の動きを体現しているわけではありません。原著は「運動進化論」の第一作ということで、あえてそこまで細かく紹介しませんでしたが、動物の種類によって「体幹主導系」の体現度の深さには違いがあり、その深さの違いによってじつは低速状態の運動も変わってくるのです。だから厳密にいうと非常に優秀な犬たとえばシェパードと、運動能力の劣っている愛玩犬、そしてチーターの三匹を並べて低速で歩かせてみると、そこにはおのずと差が現れます。同じ低速の歩行状態でも、愛玩犬はより「四肢主導系」が強く、シェパードだとその「四肢主導系」のパーセンテージは下がります。チーターになるとさらに「四肢主導系」の成分は低くなります。つまりその分だけ低速状態でも「体幹主導系」の運動が入り込んでくるということです。それが結果的に高速になったとき、どのくらい見事な「体幹主導系」の運動ができるかどうかの差になってくるのです。そして現実的にはこのように「四肢主導系」の動きと「体幹主導系」の動きの比率はアナログにできあがっているのです。

みなさんもテレビなどでチーターの動きを見る機会があったら、ぜひこの点に注目してよく見てください。チーターが低速状態になってくると、高速状態に比べて明らかに体幹が主導するパーセンテージは減ってきますので、画像を見て「あっ、いまは体幹主導系が何割ぐらいだな」とまずはそこを見抜いてください。「体幹主導系」の動きと「四肢主導系」の動きはアナログ的に常にせめぎあっているので、その割合は刻一刻と変化しつづけているはずです。たとえば子供とじゃれあっている親チーターが、前足でちょこんと子供を払ったときは、チーターだって瞬間的にかなり「四肢主導系」の強い動きになっているはずです。そういうことを細かく見ていくと、「体幹主導系」と「四肢主導系」は現実的にはこうして複雑に入り組みあって、ある一瞬の運動状態を作り上げているということがお分かりいただけると思います。

進化論上、人間の身体のポジションはどこにあるのか?

さて、こうして魚類やチーターなどの身体と見比べてしまうと、人間の身体はどうも彼らに劣っていると劣等感のような感じを抱かれてしまう人も多いのではないでしょうか。多くの方は人間の脳はあるゆる動物のなかでもっとも進化していると信じて疑っていないのに、身体はそれに反比例して退化していると思うのだそうです。

でも私は絶対にそのように思いません。じつはそれが私の「運動進化論」という考えの出発点にもなっているのです。人間の体幹部と手脚の構造を厳密に見ていきますと、人間は間違いなく運動体として進化の頂点に立っている動物だということが分かります。すでに説明してきたとおり、魚には手脚がありません。手脚がないので物を持ったり動かしたりすることはできません。そういう意味でも魚は進化の歴史において低い段階にあると言い切れると思います。しかしその一方で、脊椎を中心とした運動においては完璧に近い存在なのです。だとすれば、脊椎運動を魚のように使えない人類というのは、やはり退化した身体なのでは? と思われるかもしれません。

しかし人間だって立派に脊椎運動を行えるのです。いわゆる天才・名人・達人と呼ばれる人たちの存在が、それを証明しています。彼らは現代社会においてはたしかに少数派かもしれません。でも天才や達人が脊椎運動を行えるということは、人間の誰もが脊椎運動を行えるということです。ということは、手脚が使えてなおかつ脊椎も使える人間は、魚よりも進化のうえで先に進んだ存在であるということです。

このことを踏まえたうえで、今度は体幹部の形状について見ていきましょう。原著でも解説したとおり、爬虫類の体幹部はX方向に扁平で、Z方向に拡がっています。そして手脚はZ方向(横方向)に伸びているので、爬虫類は魚が泳ぐときと同じようにY・Z方向の波動運動を使って前進し(歩き)ます。その代わり爬虫類は手脚をX方向(前方)に持ってきて身体を支えるということができません。つまり手脚の動きはY・Z平面上に非常に制限されているのです。一方、哺乳類の手脚はX方向に伸びています。体幹部も爬虫類とは逆にX方向が厚く、Z方向に薄い形をしています。そして大半の哺乳類は手脚をZ方向に完全に持ってくることはできません。

というわけで、一般の哺乳類の手脚はX方向、爬虫類の手脚はZ方向に動きはおおよそ限定されています。では、われわれ人類の手脚はどうなっているのでしょうか?

そうです。爬虫類のようにZ方向にも完全に手を伸ばせるし、哺乳類の四足動物のようにX方向にも自由に手を動かせるというじつに便利な身体をしているのです。つまり爬虫類的な身体運動の構造も持てれば、哺乳類的な身体運動の構造も持てるのです。しかも、それぞれの構造を別々に持つのではなく、共存して持てるので両者の中間の構造も持っていて、X方向とZ方向の関係も持てるのです。だから、右にあった物を身体の向きを変えることなく腕だけを動かして正面からさらに左に持ってきたり、正面にあるものを掴んで、すぐさま横に投げたりすることができるのです。

こうした動作は、哺乳類(四足動物)と爬虫類の典型的な運動構造だけを組み合わせてもできません。なぜなら、爬虫類の典型的な運動構造では手脚は横方向(Z方向)でパタパタするだけですし、典型的な四足動物の運動構造ではX方向にかなり限定された範囲での前後にしか手脚を動かせないのですから、両者を足してもX方向とZ方向のちょうどあいだの90度の空間はつながらないからです。

そう考えると、横から正面、正面から横に手を自由に動かせるというのが、どれほど偉大なことかご理解いただけると思います。考えてみてください。もし仮に両手に手錠をかけられて、右手と左手の間隔を常に非常に狭い範囲で制限されて、日常生活を送るとしたらどうでしょう。両手が自由なときに比べ、身体運動能力や作業労働能力は何十%かまで低下してしまい、現代の日常生活はかなり不自由になってしまうでしょう。また磔(はりつけ)にされたみたいに両手を左右に開いた状態で、棒などに手首を固定されたとしたら、手錠をかけられたときよりも、さらに日常生活は難しくなると思います。そして手錠か磔の2パターンを行ったり来たり自由に選べたとしても、その中間領域がカットされてしまえばその不便さはかなりなもののはずです。

だから手脚が三次元的に自由に動かせるということは、とてもエレガントで偉大なことなのです。そして人類がこういう四肢の構造を得たことが、これだけの道具を伴った多用で膨大な文化を生み出したのです。ちなみにここでいう、道具というのは建築物を含む人間のあらゆる構築物、造形物のことを指しています。また文化には、人間が作り上げたすべての物と動き、認識、行動の約束事を含みます。そうしたあまりにも多用で複雑で膨大な文化というのは、じつはこうした三次元に動く腕の自由度がもたらしたものなのです。もし人間の腕にこうした身体運動としての構造がなかったとしたら、こうした文化は決して生み出せなかったといえるでしょう。

したがって、この点だけを取り上げても人間の身体は進化の最先端にいるといってもいいと思います。

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