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『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
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第13回(2008.09.30 掲載)

脛骨・腓骨の分化

さて、次は骨の話です。まず脛骨・腓骨について見ていきましょう。脛骨・腓骨は脚の脛のなかにある2本の骨です。内側の太い骨が脛骨で外側の細い骨が腓骨です。この腓骨の太さは脛骨の1/4~1/5しかありません。一方、脛をぶつけて痛いところ、いわゆる弁慶の泣き所は脛骨のほうです。腓骨は基本的に筋肉に覆われていて手で触ってわかるのは膝横のすぐ下にある突起部と外踝(くるぶし)の2箇所ぐらいなので、実際にこの2箇所に触れて「このあいだをつないでいる腓骨という骨があるのだな」と認識してください。解剖学の知識をお持ちでなければ、脛のなかには骨が1本しか通っていないと思われている方も少なくないのです。

  • 腓骨と脛骨
  • 腓骨と脛骨
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さて、大腿部の骨は大腿骨1本なのに、脛のなかに脛骨・腓骨の2本の骨が通っているということは、当然それぞれに決まった役割があるからです。一番メインとなる働きは、当然膝から上の全体重を支えることですが、これは太いほうの脛骨の役割です。にもかかわらず、現代の多くの日本人は腓骨で体重を支えてしまっています。これは大きな誤解といっていいでしょう。図を見れば分かるとおり腓骨は非常に細い骨なので、体重は腓骨の4~5倍太い脛骨で支えたほうが合理的だということがわかっています。また足から見ると、体重は足首の中心、距骨にすべて乗ってきます。その距骨の真上にある骨はやはり脛骨で、腓骨はというと脛骨の側面に外踝としてへばりついている状態なので、直接距骨に荷重をかけることができません。

したがって腓骨で体重を支えようとすると、足首のところで脛骨から腓骨が剥がれ落ちるような力が働き、外踝の腓骨関節や腓骨自体に障害が起こりやすくなってきます。そこで腓骨側で体重を支えてしまっている人は、自分の身体を守る本能的な防衛機能を働かせて腓骨周辺の筋肉に力をいれてグッと固め、細い腓骨をゴムバンドでぐるぐる巻きにして隣の脛骨と一体化させたような立ち方で立つのです。その結果、腓骨をオーバーロードから守る代わりに足に対して絶妙至妙の動きをさせる腓骨本来の働きを失ってしまうのです。

なぜ脛の骨が2本に分かれているのか、よく考えてみてください。脛の下には足がありますが、脛のなかの骨が2本あることによって人はその下にある足の骨をさまざまな方向に動かすことができるのです。サッカーの絶妙なシュートやパス、あるいはドリブルなども脛の骨が2本あって足が自在に動くことではじめて可能になるのです。その一方で、日常生活では歩くという場面において足を巧みに使うことで地面からの反力を吸収しながら歩いています。その一歩一歩ごとのショックアブソーバー機能も腓骨の働きなのですが、腓骨周辺の筋肉を固めてしまうとその働きも奪われてしまいます。その結果、脛でショックを吸収した滑らかな歩き方ができなくなり、一歩ごとに、より衝撃を受けてしまうゴツゴツした歩き方になってしまうのです。

したがって腓骨側で体重を支えるようになってしまうと、スポーツ選手ならば巧みな動き方とは無縁になり、一般人ならば歩くだけで不快な身体になってしまうのです。会社で上司にコピーを頼まれたとき、頼まれただけで不快になるのも1歩ごとに身体に衝撃を受け、それがとっても不快だからということになりかねません。また長年にわたって歩くたびに足裏からのゴツゴツとした突き上げを受けつづけると、当然身体の障害にもつながってきます。

先ほどから加齢による身体の障害というテーマのお話をしてきましたが、人生50年といわれた時代でしたら、高齢による障害というのはあまり問題にならなかったのかもしれません。しかし人生100年の時代が来れば、単純に人生50年時代の2倍も身体を使うわけですから、身体の消耗・磨耗は進みます。日本の現代社会は高齢化社会から超高齢化社会に向かいつつある状況ですから、人生50年の頃とは当然違ったパフォーマンスが各自の身体に要求されてきます。私はこの状況を新たな高度パフォーマンスを要求する時代が来たと考えています。もちろんこれはスポーツ選手として若い強力な相手以上のパフォーマンスを発揮するという意味ではなく、100年間元気に動けるように身体を使いこなすという意味での高度パフォーマンスです。

これはおそらくみなさんが考えている以上にたいへんなパフォーマンスです。ご存知のとおり、80歳を過ぎる頃になりますとほとんどの方がよぼよぼ歩いていらっしゃいます。あるいは車椅子のお世話になったり、ベッドで寝たきりというのも珍しい話ではありません。もっと進んでいる人はお墓に入っているでしょうから、80歳まで生きていること自体、すでに立派なことです。ですから80歳台で問題なく身体を使いこなして元気に歩き回っている人はそれだけでもすばらしいわけですし、90歳台になって元気よく歩き回れたら、それはもうまさにそれだけでスーパー・パフォーマンスということができるでしょう。

したがって自分の身体を80年、90年という時間の長さにわたって高機能状態にキープするには、クルマなどの機械を長持ちさせるのと同じようにメンテナンスやケアというものが必要になり、じつはそれ以上にそもそもきちんとした使いこなし方ができているかどうかが問われてくるのです。

このように高齢になっても元気に生きていくことを高度なパフォーマンスであるという見方をしていくと、高齢者が不自由なくふつうに暮らすという一見あたりまえなことが、じつは〝究極の身体〟に、より近づく現象であり、達人という言葉を使うのならまさに本物の達人に近づくことだといえるのです。ですから〝究極の身体〟を語るうえでは、こうした見方も非常に重要になってくるのです。

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