ホーム > 第33回 書籍連載

『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
  • ※現在は、販売しておりません。
  • 高岡英夫自身の講義を実況中継!
    より詳しく、より深くスリリングに
    「究極の身体」を体感してほしい

第33回(2008.02.17 掲載)

6時間目 クライマックスとしての補講

これまでみなさんといっしょに読み込んできたとおり、原著『究極の身体』の序章から4章まででは、非常に重要なテーマばかりを扱ってきたと思います。しかしそれだけにまだ語り尽くしていない重要な話がいくつか残っております。そこで本章では、その残されている大事な話のなかから最も魅力的な話を1つ選んで語っていきたいと思います。

続・背骨

ここで語るべき重要な話は背骨についてです。背骨については原著『究極の身体』の第3章、そしてこの本でも4時間目の講義でいろいろ語ってきましたが、さらにぜひともこの時点で押さえておいてもらいたい話があるので、そのことについてこれから語っていきたいと思います。

この本で紹介してきた私の講義では、「組織分化」という考え方を重要なベースとしています。その「組織分化」という考え方が生まれるにはある背景があり、その背景とはじつは「拘束」という考え方だったのです。そもそも、この「拘束」という考え方が生まれなければ、「分化」などという考え方が学術的には生まれる余地すらなかったでしょう。ひるがえってみると、まさに身体の現象として「拘束」というものが存在していて、それに対し「拘束」されていない身体、つまりより「分化」している身体という現象の存在に気がついたところから出発しているわけです。

その「拘束」という現象を考えるには、背骨についてさらにきちんと押さえておくことが必要になるのです。

もう一度骨格標本を見てください。背骨は人間の身体の中心にあります。このことから私は学術的に次のように考えたのです。「拘束というのはどこから始まるのだろう」と。つまりより中心である背骨から「拘束」は生まれてくるのか、それとも末端である手足から生まれるのかということです。私に限らず学術的にものを考える人というのは、このように「中心か? それとも末端か?」と考えるもので、そのあいだから生まれてくるとは考えません。なぜなら、中心と末端のあいだから「拘束」が生まれることはほとんどありえないからで、結果として中心と末端を研究すればおのずから答えは見えてきます。

  • 背骨の骨格標本
  • 背骨の骨格標本
  • クリックすると拡大画像がご覧になれます。

もちろん私もこうした考えに従って研究を進めたわけですが、その結果分かった答えというのは、ずばり「拘束は背骨から発生する」という結論です。

これを私は「拘束出所論」と呼んでいます。そしてこの「拘束出所論」の研究を進めていった結果、「拘束双芯論」に到達したのです。つまり身体の「拘束」は2箇所から始まるという考え方です。そのひとつは頚椎の7番目、いわゆる大椎から胸椎の上部を取り巻くその周辺一帯です。原著でも紹介したように、私はここに「拘束背芯(こうそくはいしん)」という名前を付けて呼んでいます。そしてもうひとつは仙骨、そして腰椎の4番・5番とそれを取り巻くその付近=「拘束腰芯(こうそくようしん)」です。

私はさまざまな研究過程のなかで「どうもこの二箇所から人間の拘束は始まるようだ」という見込みをつけて、それを証明すべくいろいろな試行を行いました。最初に行った研究は、たくさんの人の身体を調査することです。つまり全員が共通して一番固まっているところはどこかという調査です。

この調査方法は、火事があったとき、消防署の職員の方々は焼け跡を調査して一番燃え方が激しかったところを調べ、そこを火元と断定するやり方とちょうど同じ手法なので、私は「火付盗賊改理論」と呼んでおります。なんだか冗談みたいな話ですが、「拘束出所論」を完成させるには、この火事の火元を調べるやり方に似た「火付盗賊改理論」が非常に役に立ったのです。そしてこの「火付盗賊改理論」で多くの人の身体を調べていった結果、一番「拘束」が激しかったのが、先の「拘束背芯」と「拘束腰芯」の2箇所だったのです。

こうした研究の一方で、私はまた別の角度からも身体の「拘束」について研究をしています。それは人の身体運動を見て、その部分がゆるんで可変的であるがゆえに高度なパフォーマンスが行えるという部分と、反対に「拘束」されて固定的であるがゆえにレベルの低いパフォーマンスの元凶になってしまっている部分を探すという研究です。そのゆるめばハイ・パフォーマンス、固まればロー・パフォーマンスになるキーポイントが、もっとも共通しているのはどこかというと、やはり「拘束背芯」と「拘束腰芯」の2箇所だったのです。

そしてさらに私は自分自身の身体を観察してみたのです。これは内観的な手法なので、非常に操作的な実験が可能です。それで私がなにをやったかというと、全部で26個ある背骨を上から下まで1つずつ自分の意志で動かそうして、最後までなかなか動いてくれなかった骨はどこかという実験です。これは非常におもしろい実験で、正確にいうと能動的に操作する意識性の高さに関わらず、結果として非常に動きづらい箇所はどこかというのを調べたわけです。そしてその結果はまたしても「拘束背芯」と「拘束腰芯」の2箇所だったのです。より厳密にいうと「拘束背芯」と「拘束腰芯」の2箇所の操作性の高さが必ずしも一番低いわけではないのです。しかし、1つ1つの背骨を動かそうとチャレンジしたとき、操作されにくさという点できわだって一番だったのは、「拘束背芯」と「拘束腰芯」の2箇所でした。

  • 拘束双芯
  • 拘束双芯
  • クリックすると拡大画像がご覧になれます。

このように、「火付盗賊改理論」から「拘束双芯論」というのを解き明かしたわけですが、その一方で、このことをまったく別の観点、つまり「拘束発生理論」からも証明する必要があるはずだと私は考えています。

▲このページの先頭に戻る