書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか
- 『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか - 運動科学総合研究所刊
高岡英夫著 - ※現在は、販売しておりません。
- 高岡英夫自身の講義を実況中継!
より詳しく、より深くスリリングに
「究極の身体」を体感してほしい
第21回(2008.11.25 掲載)
道具を使わない被制御系運動
さて、道具の重み、道具の重心線、道具の重力落下エネルギーといったものを最大限利用するという運動の仕方について話をしてきましたが、次の段階は道具を使わない「被制御系運動」です。
包丁で豆腐を切るときに包丁の重みを感じたと思いますが、じつは包丁だけでなく、手にも重みや重心線、重力の落下エネルギー、重力による落下の方向というものはあるのです。同じように前腕にもあるし、上腕にだってあるのです。
ということは、道具の重みだとか慣性力といったものを最大限利用し、それに制御されている状態になって制御していく「被制御系運動」と同じように、自分の身体の各パーツそれ自身の重みを利用した「被制御系運動」だってあるのです。
このように「被制御系運動」の考え方というのは、どんどん身体のなかにも入ってくるのです。だからまず道具で理解し、身体にそれを応用して理解してみてください。私が「極意を教える」という講座で指導している「振り子体」というのは、まさにそうした自分の身体のパーツを使った「被制御系運動」の代表格です。
振り子の運動というのは、まさに重力と質量、重心、そしてその結果生まれてくる慣性運動を利用したものです。自分の身体に振り子運動をさせることによって、こうした重力だとか重心、重心線、慣性力という「被制御系運動」にとって重要なファクターを、自分の身体運動を制御するための能力因子として自分の身体のなかに導入しやすくなるのです。それが「振り子体」の仕組みです。
具体的にはまず腕をプラ~ン、プラ~ンと振り、同じように脚も振ってみます。腕や脚をプラプラ振ってみるとなにをしたくなるかというと、歩いてみたくなるのです。だから「振り子体」では歩法トレーニングを行うのです。このとき、腕や脚でよりいい振り子運動ができるようになると、よりいい歩きができるようになります。つまり、よりいい振り子運動ができるということは「被制御系運動」が育ってきているということです。
というわけで、究極の身体にとって必然中の必然である「被制御系運動」というものは、じつはこんなにも身近なものなのです。だから、たとえばフォークや箸を持つときにも、指から落ちるか落ちないかのぎりぎり最小限で持つという習慣をつけてください。そのようにぎりぎりの力で物も持つと、非常にわずかなmm以下、10分の1mm以下の空間の幅のなかで物がズルズルとずれていく感覚を味わうことができます。そうした感覚をぜひ味わうようにしてみてください。それが「被制御系運動」を身に付けていくための日常的なトレーニング方法です。
私自身の話をしますとこれは半ば習慣になっていまして、高校時代にこうした“趣味”を見つけて、ペンなどの身近な物をいつも落としかけて遊んでいました。
二種類のセンター 「垂軸」と「体軸」
最後にもう一度「センター」の話をしてこの章をまとめましょう。「センター」とは前記のとおり重心線に対応した意識のラインであり、組織分化が進んだ“究極の身体”に近づけば近づくほどその数が増えていくものです。しかもその数には限りがなく、アナログ的な重層構造を持っています。
しかし非常に複雑な話になりますが、「センター」にはもうひとつ別の意味での身体意識のラインもあるのです。それはなにかというと、体幹のある部分(主に中央)に直線状に形成された意識です。そしてこちらの意味での「センター」だと、重心線とはまったく一致しない場合があるのです。
それはどういう場合かといいますと、たとえば人が寝たときです。このとき体幹の軸である「センター」は水平になるので、重心線に対応した「センター」と体幹の軸である「センター」は直交します。こうした考えは、私が発表するまで皆無だった考え方でしょう。そこで私はこの2本のラインにそれぞれ名前をつけました。すなわち重心線に一致した意識のラインを「垂軸」、体幹の軸を「体軸」と呼び、人間が立ち上がっている状態=「垂軸」と「体軸」が一致している状態を「垂体一致」というのです。従来からある正中線や軸といった概念を研究されている方のなかには、この「垂体一致」の状態だけが「センター」であると思い込んでいる人が多いようです。
でも真実の「センター」は、「垂体一致」になったり「垂体斜交」したり「垂体直交」したりと無限に変化する性質を持っているのです。だからもともと2本ある身体意識のラインが、たまたま1本に重なったり2本に戻ったりしているだけなのです。
それなのに通常、人が真っ直ぐ立っていると「垂体一致」に近い状態になっているので、「垂体一致」の状態こそ「センター」だ、と信じて疑わない人が出てくるのです。
しかし学問というのは、一般の人達の認識では読み取ることができない、その奥にある潜在構造をまさに腑分けしてその論理構造を解き明かしていくものですから、ふつうなら1本しかないように思える「センター」にしても、じつは「垂軸」と「体軸」の2本の意識のラインがあるということを解明していかなければならないのです。そして一方では、重心重層ピラミッドの図で説明したような、(本書98ページ、書籍連載第16回参照)組織分化されたパーツの1つ1つに「センター」というものが存在するのです。つまり「センター」とはこれほどまでダイナミックな世界なのです。
このことをみなさんにも驚きとともにご理解いただきたいのです。つまり、「人間の身体とはこれほどまでにすばらしいのか」という思い、あるいは「なんて複雑な、しかしダイナミックでエレガントな論理でできあがっているのか」という思いを私と共感してもらいたいのです。ダイナミックでエレガントな論理でできあがっているものは、すばらしい存在に決まっています。人間の身体というのは、単に生きている生命体としての身体を前提に、高度に機能する身体が存在しているわけです。その生命体としての身体と常に連動し、協力し合いながら、機能としての身体がすばらしい存在として成立しているのです。ですからみなさんもこのことにぜひ感動を覚えてください。なぜなら、みなさんを含む人類全員が1人ずつこのようなすばらしい身体を与えられているのですから。人はだれでも本質的なメカニズムとして、あるいは潜在構造としてこのような身体を持っているのですから、あとはどこまでそれを体現・具現化していくか、という違いだけなのです。現実にその機能を発動しているかどうかは別として、使いうる身体としてはどなたにでも備わっているのです。そこが本質的に人間として共感でし合える感動の領域だと私は思っています。