書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか
- 『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか - 運動科学総合研究所刊
高岡英夫著 - ※現在は、販売しておりません。
- 高岡英夫自身の講義を実況中継!
より詳しく、より深くスリリングに
「究極の身体」を体感してほしい
第23回(2008.12.09 掲載)
(前回からの続き)「三次元のズレ」がテニスのトップ・スピンを可能にする
そうした必然性から生まれた高度なスイングがトップ・スピンという打ち方なのですが、そのトップ・スピンという運動を背骨に視点を当てて分析していくと次のようになります。まず、身体を若干右に引こうとするときに、初期動作として尾骨がわずかに右後方にずれはじめます。そしてそれを追うようにして仙骨、そして腰椎の下側から順々に上の背骨がずれていきます。その一方で、右後方にずれる運動が腰椎あたりに達したときには、尾骨側は反対に元の方向に戻りはじめるのです。そのころ腰椎を駆け上っていった右後方にずれていく運動成分は胸椎、肩、腕まで伝わっていきます(このとき手腕は脱力しているはずなのでラケットの重みで垂れ下がります)。
この一連の動きを、身体座標空間を使って見ていきましょう。まず尾骨が右後方にずれていくというのは右Z軸方向の動きです。その動きが仙骨のすぐ上にある腰椎の5番に伝わるころには、もう尾骨は元の方向へ戻りはじめるのです。でも間違いなくずれながら、そしてずれ戻っているのです。
ここでちょっと実験をやってみましょう。指先を下に向けて手を十分にゆるめて垂らしてみてください。その状態でいったん指先を右に振ってそれから今度は反対の左に振ってみてください。この手先が右から左に行くとき、手首は反対に左から右に動くはずです。これと同じような動きが、トップ・スピンの初期動作に尾骨と仙骨の上端付近というわずかな距離で起こっているのです。そしてこの右から左へという尾骨から始まって腕まで続く波動運動は、決して大きなずれ運動ではなく、むしろ一定の時間のなかでZ方向上での左右へ動く幅を制限しているのです。この左右の幅を制限し、それを短い時間のなかで繰り返すと、背骨の右半身と左半身が上下にずれる運動に変わるのです。
つまり左右でのZ軸方向のずれ運動が、Y軸成分のずれ運動を伴うようになるのです。その結果、より身体の右半身が高くなって、次の瞬間今度はその右半身がより低い位置に下がってきます。この身体の片側の上下の動きが大きければ大きいほど、スピン成分が強くなるので、本当に上手なトップ・スピンを打てる選手になると、末端のラケットの上下方向でのずれ成分は自分の身長にも匹敵するほどの移動量になります。ほとんど水平方向の回転だけで行っている市民プレーヤーのスイングと、上下に身長ほどの移動量があるトップ・スピンの質の差が、これでよくわかっていただけたと思います。
- 身体座標空間
またこうした右半身と左半身がずれる運動には、原著の第5章で紹介している「割体」という概念の運動を伴います。その結果、背骨を境に左右の身体が上下からさらに前後にずれる動きも起きてきます。だから、このトップ・スピンを打つときの体幹部の動きというのは、一般の人がイメージしているY軸を中心にした箱状の体幹部を軸回転させる運動とはまったく異質のものなのです。つまりトップ・スピンというのは、背骨がZ軸方向に横ずれし、それがある幅の時間と空間のなかに収まることで背骨の左右を縦にずれ動かし、それが起きる状態でY軸の軸回転運動をしようとすると、今度はさらに背骨まわりで身体が二つに割れて右半身と左半身がそれぞれ前後方向にずれだす運動だということです。
この三次元的な複雑きわまりない動きというのは、じつは典型的な魚たちの運動構造なのです。普段の何気ない泳ぎのときも、身体のなかでは背骨まわりが横ずれ運動を起こしながら縦ずれ運動も起こしているのです。そして魚たちがなにかをかわそうとして身体をロールさせながら左下方(もしくは右下方)に向かったりするときには、今度は背骨の左右でX軸方向(魚類はY軸が水平方向になるので、X軸は天地方向)のずれ運動をも使います。こうした魚類が利用している三次元のずれ運動を、テニスのトップ・プレーヤーはラケットを持って、2本足で立った状態で、ボールを打ち返すという運動のなかで行っているのです。
手脚がなければ背骨が器用に動く!?
同じ背骨の三次元的な動きなのに、魚ならばどの魚でも上手に使えるのはナゼなのでしょう。人と魚の身体を見比べてみると、魚には手脚がありません。ヒレというものはついていますが、ヒレは体幹部の運動のサポート機関に過ぎません。一方、人間の場合は背骨が運動機関であるという実感はまったくといっていいほどありません。事実も実感も腕や脚が運動機関になっているのがわれわれ人類なのです。だから人間がラケットを持ってコートに立ち、そこにボールが飛んでくると、手脚を動かしてなんとかしようと思ってしまうのです。
それに対して魚にはヒレでなんとかしようとする意識はないはずです。なにかあったときには、ヒレよりもなによりも魚の運動機関の中心である背骨・肋骨、そしてその周囲の筋肉でなんとかしようという意識が99%以上占めていることでしょう。またそういう魚にとってみれば、背骨・肋骨系の骨格・筋肉を人が手先を動かすのと同じように器用に、そして自由に動かせるのです。そう考えれば魚が背骨まわりの三次元的な複雑きわまりない運動をするのは、不思議でもなんでもないと思えてくることでしょう。
つまり、非常に大雑把な二分法でいえば、魚は背骨で動くしかないのだから背骨をそのぐらい自由自在に使いこなせるのはあたりまえ。ところが人間は手脚が器用に、そして強力に働くので背骨のことなど忘れてしまうということです。この話は非常に大雑把ではありますが、じつに真理に近いと思われます。でも逆にいえば、人類と魚類は同じ脊椎動物同士であり、宇宙の歴史から見れば魚類から人類に進化したのはついほんのちょっと前のことなのですから、手脚がなければ背骨で動くという実感も決して分からなくはないはずです。