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『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか 【目次】

書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか

  • 『究極の身体』を読む
    身体の中心はどこにあるのか
  • 運動科学総合研究所刊
    高岡英夫著
  • ※現在は、販売しておりません。
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    「究極の身体」を体感してほしい

第5回 (2008.08.05 掲載)

(前回からの続き)“究極の身体”は存在するのか?

じつは意外なことに、こうした武蔵のような存在というのは非常に稀な例なのです。たとえば徳川将軍家の兵法指南役となった柳生(やぎゅう)宗矩(むねのり)という剣客がいますが、彼にはほとんど実戦の記録が残っていないので、強かったのか弱かったのかが戦績的には分かりづらい。そういう意味で優秀な戦績が残っていて、なおかつ詳細な肖像画や極意書が残っている宮本武蔵という人は、やはり格別の研究をする価値があるのです。

宮本武蔵というと吉川英治の小説のイメージがとっても強いと思いますが、私が若い頃からここまで関心を持って取り組んできた身体運動や身体、あるいは武道・武術の本質という視点から見ると、正直いってあの小説の内容に興味を持てる点はひとつもありません。そういうわけで、吉川英治の『宮本武蔵』はどうせつくり話だろうと思いながら読んだだけで、たいして印象に残る記憶がないのです。ですから、あの小説の話を云々することはできませんので、その代わりにちょっと武蔵の身体について語っておきましょう。

武蔵の身長は180cmもあったそうです。江戸時代初期180cmですから、当時の日本人の平均身長を考えると今日でいえば2mぐらいの大男というイメージでしょう。しかも怪力無双といわれております。でも武蔵怪力説というのは小説的なお話で、史実としてはまったく証明されていません。私としては、もし武蔵が怪力無双の豪傑だったとしたら、おそらく生き残ってはいなかっただろうと思っています。

なぜなら、一般的に体が非常に大きくて怪力無双の人物というのは、体格体力が有意な因子となる行動領域においては、頭を鋭敏に働かせて周到に物事を計算するというのがなかなかできにくい傾向があるからです。そういう人だって、今日のK-1のようにルールがあって、試合開始時間や場所がきちんと決まっていれば、なかなか負けることはないでしょう。しかし武蔵の時代は違います。武者修行で各地を歩いていれば、いつどこで不測の事態に陥るかまったく分からないわけですから。そういう不確定要因が多い環境であればあるほど、なにが重要になるかというと、それは情報能力です。これはひとつの蓋然性ですが、そういう環境で怪力無双の豪傑的少年~青年が生き残っていくのは非常に難しいことだと思います。そしてまたあの『五輪書』の文章の中身にも怪力無双の豪傑では到達できないでしょう。

もちろん可能性がまったくないわけではありません。たとえばその時代に“脱力”と“極意”のきわめて優秀な指導者がいて、彼と出会い、また素直にも弟子入りして自分の傾向を改めて、長年にわたって徹底的にトレーニングに打ち込めば、あの『五輪書』の文章にたどり着けるでしょう。

しかしこれは歴史的事実ですが、あの時代に「ゆる体操」のような脱力法もなかっただろうし、“極意”を教える講座というものもなかったでしょう。だとすれば、いまの身長に換算して2mもあるような筋骨隆々の豪傑が、『五輪書』の中身のようなものに自ら到達するということはありえないといっても過言ではないと思います。したがって実在した宮本武蔵が怪力無双の豪傑だったという説は、荒唐無稽な話だというのが私の結論です。

ですから私は『武蔵とイチロー』(小学館文庫)の書のなかで、『五輪書』の「水之巻」を取り上げ、「水のように徹底的にゆるむ」という武蔵像を展開しているのです。ここで改めて紹介しておきますが、武蔵は幼い頃から水のようにゆるんでいた子供だったのです。13歳のときに有馬喜兵衛という武芸者と対戦したということになっていますが、武蔵が有馬喜兵衛に勝てたのは、彼が脱力のセンスあふれる少年だったからでしょう。この“脱力”という理が分からない人々は「13歳の少年が大人の武芸者に勝てるわけがない。武蔵は13歳ですでに大人以上の体格で力も強かったに違いない」と思い込んでしまうのです。しかも武蔵は木刀(棒)、有馬は真剣で立ち向かい、最後は武蔵が木刀を捨てて有馬を担ぎ上げて地面にたたきつけ、それから木刀で撲殺したという伝説もあるそうですが、これも武蔵・怪力無双説から生まれたフィクションでしょう。

実際には、身体が小さくても脱力さえできていれば、大人を負かすことぐらい決して難しいことではないのです。これは私の体験上でも明らかです。私も子供の頃に4~5歳も上の不良たちと何度もケンカをしたものです。そういうとき、相手は当然私よりも身体が大きいので、まず私を押さえつけようとしてくるのですが、その瞬間、私はユルユルに脱力して相手の懐に飛び込んでネットリと密着し、そのまま相手の裏に回りこんでしまうのです。そしてその勢いで相手を後ろにひっくり返してしまうのです。その際、自分の脚をベロベロに脱力させて、相手の脚の裏側にベッタリとくっついてしまうと、あとはさらに全身を脱力させて相手の背中の方向に液体のように身体を預けてしまえば、相手は簡単にひっくり返ってしまいます。こうしたことは、当然武蔵もできたはずです。

なぜなら武蔵は、今日のように世界的規模での身体運動についての科学的な研究がなく、ましてやそうした背景をもとに言語的、明示的にそれを明らかにするようなことが乏しい時代に、あれだけ周到な言語表現をもって脱力の世界を語ることができたのですから、まさに脱力という術理において天才中の天才です。そんな天才・武蔵にとって、脱力して大人を倒してしまうことなど朝飯前のことだったでしょう。そうした武蔵の実技については、『秘剣 宮本武蔵』(運動科学総合研究所 ※絶版)というビデオで私が実演しております。先ほどお話した「漆膠の身」(ユルユルにゆるんで相手にペッタリと密着するように身を寄せるという教え)もお互いに剣と剣を持って向き合った状況ではありえない、といわれてきたことなのですが、その「漆膠の身」を兵法二天一流の継承者を相手に私がなんなく実演して見せています。

論より証拠ということです。私のトロトロ、ヌルヌル、ペタペタした動きが、固い動きに慣れた方々には、異様に映るかもしれませんね。

  • 著者による「漆膠の身」の実演
  • 高岡英夫による「漆膠の身」の実演
  • 相手にヌルリと溶け込むように身を密着させつつ、切り抜ける。現代人には理解不能の異常な動きが現実のものとなる。

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