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高岡英夫の対談
「トップアスリートを斬る」

【文中で紹介された本】

第15回 サッカー日本代表(1)(2008.11.07 掲載)

  • 高岡英夫
  • 高岡英夫[語り手]
  • 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
  • 松井浩
  • 松井浩[聞き手]
  • 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(いずれもメディアファクトリー)、「インコースを打て」(講談社)等がある。
 

第15回 サッカー日本代表(1)(2008.11.07 掲載)

高岡 前回の「イチロー」編の最後にも話しましたが、あれだけゆるんでいたイチローも身体がだんだん固まってきて、北島康介もロンドン五輪を目指すかどうかわからない(プロ契約は、今のところ2年間のみ)というのでは、これから日本のスポーツ界は火が消えたように寂しくなりますよ。

――そういう意味でいえば、世界で最もメジャーなスポーツと言ってよいサッカーですね。サッカー日本代表がもっと強ければ、スポーツ界全体が盛り上がると思うのですが、現在行われている2010年W杯南アフリカ大会のアジア最終予選を見てもパッとしないですね。サッカーに関する本を3冊も出版して、高岡先生の理論をわかりやすく説明しているのですが、残念ながら全く反映されていないです。

※3冊の本とは、『サッカー日本代表が世界を制する日』('01年10月)、『ワールドクラスのためのサッカートレーニング』('02年7月)、『サッカー世界一になりたい人だけが読む本』('07年2月)。版元はいずれも「メディアファクトリー」。

高岡 そうですか。私の見解は逆で、私の理論と方法がドイツ大会以後の日本代表クラスの身体と動きに少しずつ反映されてきているなと見ています。身体をゆるめるというアイディアが僅かですが反映されてきているからこそ、あの乏しい人材でここまで闘えているのでは、と見ているのです。

 ところで、松井君と一緒に作った3冊の本は、サッカーのトレーニング本の中でも最も売れている本でしょう。

――『サッカー日本代表が世界を制する日』は、本に挟んであるハガキが短期間で1000通以上も返ってくるほど小学生からJリーガーまで大変な反響がありましたし、『ワールドクラスのためのサッカートレーニング』は、発売から6年以上が経つ今も増刷を続けています。サッカー本のトレーニング本としては、断トツのベストセラーになっています。

高岡 ということは、サッカーの指導者や選手たちが、それだけ必要性を感じて読んでくれているということですよね。ところが、肝腎な中心が動いてないんですね。

――日本サッカー協会ですね。ここ10年の日本代表を振り返っても、W杯で結果が残せないと「やっぱり1対1が大事。1対1で勝てないと世界では通用しない」と反省するのに、次のW杯が近づくと「1対1では勝てないので、組織の力で何とかしなければ」という話になって、同じことを繰り返しています。その身体能力について、日本サッカー協会は若い世代から取り組むという方針でやって来ましたが、23歳以下が出場した北京五輪でも勝てなかったように、こちらも結果が出ていないと、私は思うんですけどね。

高岡 ゆるトレーニングを充分に導入せずに筋トレや走り込みだけをやるとかえって身体能力を下げる結果になる、ということが分かっていないんですね。ですから協会レベルの方針は失敗、一方個々のトレーナーや選手の個人的取り組みや工夫、意識の変化の方は少しずつでも良くなってきている、ということでしょう。

そもそも個人の能力の低さを組織力で何とかしようという発想自体が間違っている

高岡 話を整理して順番にお話していくと、まず、チーム力というのは、戦術、戦略といった組織の力と、技術と結びついた身体能力という個人の力との2つで成り立っていますね。これは、どんな分野、世界でも共通の論理です。そして、その両方の力がそこそこというレベル同士の対戦なら、組織の力に頼っても勝つことができます。反対に、突出した個人の能力だけで勝つこともできます。

 ところが、サッカーのようなメジャーのスポーツで、かつ世界の頂点を目指すような戦いでは、そういう考えは通用しないんです。少なくともW杯の準々決勝に勝ち残ってくるようなチームは、個人の能力も高ければ、組織としての能力も高いです。これが、鉄則なんですね。だから、個人の能力が低いから組織力で何とかしようという発想自体が、そもそも間違っているんです。個人の能力を否定することを前提に組織の力で何とかしようと思っているわけですから、自ずとチーム力に限界が生じることになります。

――ひと昔前に「個人技の南米、組織の欧州」と言われたのですが、それは、あえて特長づければそのように言えるというだけで、ブラジルやアルゼンチン、ドイツ、イタリア、スペインといった強豪国は、個人のレベルも組織としてのレベルも高いですからね。

高岡 そうなんですよ。もう少し丁寧に説明すると、個人の中から湧き上がってくる組織力の高さと、組織の側から引き上げられる個人の能力の高さの違いなんですね。前者が南米、後者が欧州ということでしょう。でも、結果は同じで、どの強豪国も個人の力と組織の力がミックスされた統合力で戦うというレベルに到達しているんです。そこのところをきちんと認識してほしいですね。

 それと、もう一つ大前提となるのは、優れた組織力というものは、優れた個人の集まった集団からしか生まれないということです。逆にいえば、優れた個人でないと、優れたチーム力は発揮できないということです。レベルの低い個人を集めて、集団力を発揮させようと思えば、反復練習で覚えこませるしかないわけです。

――サッカー界でいえば、「約束ごと」とか、「決めごと」と言われるものですね。予め、どのように動くかを決めておく。

高岡 しかし、覚えこませたものでは、真の組織力にならないのです。ここは大変重要なところです。サッカーのフォーメーションのようなものは、優れた個人同士のフィーリングの中で生まれ発展してくるものなのです。しかも、サッカーのフィールドは広い(国際大会の基準は105m×68m)でしょ。それだけ選手がゲーム展開の絵を自由に描きやすくなります。より個人の能力の高い選手を投入すれば、それだけチーム力も上がりやすいんです。

――たとえば、'06年ドイツ大会のフランスは、ジダンが入っただけで見違えるチームに変身して準優勝しましたね。

ゲーム展開を一変させる独創的なアイデアも、個人の身体能力から生まれる

高岡 ジダンの復帰した当時のフランスが、まさにそうでしたね。実は、ゲーム展開を一変させてしまうようなアイデアも、個人の身体能力の高さから生まれるものなんですよ。個人の優れた身体能力といえば、スピードとか、1対1で抜くのも上手い、ディフェンスをしてもうまいというのもありますが、集団の中で全体のうごめきを感じながら、独創的な自由自在な発想でアイデアを生み出していくというのも、個人の身体能力から生まれるものなんです。

――本当にそうですね。たとえば、小野伸二が天才と呼ばれた若い頃、「なぜ、あの態勢から逆サイドへパスが出せるんだ」と驚いていた選手がいました。自分の体がそのように動かせないと、誰もが驚くようなところへパスを出そうという発想も生まれませんものね。

高岡 そうなんです。ゲーム展開を一変させるようなパスやシュートというのは、体から生まれる発想なんですよ。この事実を誰も分かっていない。分かっていないから、指導者や戦術家は、どうしても頭で見てしまうんですね。10人のフィールドプレーヤーを駒に見立てて配置させ、ボールをこう動かそうという発想をしがちですよね。ところが、W杯の決勝トーナメントのような高いレベルの戦いでは、そういう頭で考えた戦術だけでは通用しないですね。それを超越した独創的なアイデアで勝敗が決まってくるわけです。そして、その能力というのは、個人の身体能力から生まれてくるものなんです。そういう脳と身体の関係というものも、日本のサッカー界では全くといっていいほど知られていないですね。

――思いっきり単純にいえば、40mの速くて正確なパスが蹴れないと、40m離れたところへパスやシュートを蹴ろうという発想が生まれないということですね。そういうことであれば、サッカー界全体で真っ先に身体能力の向上に徹底的に取り組むべきだと思うのですが、サッカー界には、身体能力を劇的にアップさせることは無理という考えが広まっているような印象があります。中には、民族的に劣っていると思っている人も少なくないようです。

身体能力は正しい方法と取り組み方によって劇的にアップさせることができる

高岡 民族的に劣っていると考えるのは、全くナンセンスなことです。たとえば、江戸時代末期から明治時代にかけて、多くの外国人が日本に来ましたが、そういう人たちが奇跡とか、驚異という目で見るほど、日本人の身体能力は高かったんですね。それも人力車引きとか、荷物を担いで歩いている人とか、ごく一般的な日本人を見て驚いていました。それが歴史的事実としてあるわけですから、日本人の身体能力が他の国民に比べて劣っているという認識は完全に間違っていますよ。そもそも日本人というのは、身体が小さいのに、一瞬の速さ、つまり瞬発力と共に長時間動き回るスタミナにも優れていいということを、もう一度ハッキリ申し上げておきますよ。

――まさに、サッカーに必要な身体能力ですよね。

高岡 ズバリそのものですよ。昔の日本人というのは、世界の人が驚くぐらいサッカーに必要な能力が優れていたわけです。ちらっとでも、日本人の身体能力が民族的に劣っていると思う人がいるなら、そこは認識を改めてもらわないといけないですね。

――また、今のサッカー界には、身体能力を劇的にアップさせることは難しいと考える人も多いのではないでしょうか。身体能力は、持って生まれたものだという考え方も、依然として根強いですね。

高岡 それも、全く違いますね。身体能力というのは、トレーニングの方法と取り組み方によって驚くほど向上させることができるのです。

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