ホーム > 第32回 高岡英夫の対談「トップアスリートを斬る」 WBC特集 侍ジャパン編

高岡英夫の対談
「トップアスリートを斬る」

【文中で紹介された本】

高岡英夫の対談「トップアスリートを斬る」WBC特集

  • 高岡英夫
  • 高岡英夫[語り手]
  • 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
  • 松井浩
  • 松井浩[聞き手]
  • 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(いずれもメディアファクトリー)、「インコースを打て」(講談社)等がある。

第32回 イチロー(3)(2009.06.12 掲載)

――前回のお話では、メジャーリーグで1シーズン262本の最多安打記録を樹立した'04年、イチローのセンター(第3軸)は、「神」と呼ばれたマイケル・ジョーダンや史上最高の天才スキーヤーといわれるインゲマル・ステンマルクのレベルまで発達していた。さらに、第1側軸から第3側軸までも見事に通っていたことから、奇跡のようなバッティングが可能になったということでした。その'04年のイチローの身体意識では、「肩包面」に触れて頂かないわけにはいけませんね。

※「身体意識」とは、高岡が発見した身体に形成される潜在意識のことであり、視聴覚的意識に対する「体性感覚的意識」の学術的省略表現である。『センター・体軸・正中線』(ベースボール・マガジン社)のはじめに(1ページ~)、序章(17ページ~)や『身体意識を鍛える』(青春出版社)の第2章「達人たちの〝身体づかい〟7つの極意を知る」(45ページ~)で詳しく解説しています。

高岡 イチローの「肩包面」については、これまでにも各所で語ってきましたが、この年の「肩包面」は本当にすごかったですね。

※「肩包面」とは、肩包体と肋体の間に成立する曲面状の身体意識。『上丹田・中丹田・下丹田』(ベースボール・マガジン社)の第4章「肩包体」(161ページ~)で詳しく解説しています。

――アウトコースの落ちるボールを、肩包体をずらし落としながらバットに当ててましたからね。

'04年は三枚重ねの肩包面を自由自在に使って、他に例を見ないような絶妙なバットコントロールをしていた

高岡 肩包面はなだらかな丘のような、凸面鏡のような形をしているんですよ。それが肋骨の最上部に沿って一枚あって、肋骨から上と下の関係を作っていました。そして、その大きな肩包面と交差する、小さな肩包面が、右脇から左の首の付け根と左脇から右の首の付け根に通っていましたね。つまり、三枚重ねの肩包面が形成されていたのです。こうした身体意識の装置があったから、肋骨に対して、肋骨の上に乗っかっている肩周りや頭の部分がより自由にスライドしながら、しかも安定的につかえたんですね。一方、打者に向かってくるボールは落とされたり、落ちながら食い込んできたり、ホップしたり、いろいろです。しかも、ボールが変化するときには、身体が回転しているでしょう。そういう状況の中でボールの鋭い変化に合わせてバットをコントロールしようと思えば、状況によっては右側の肩周りがズルッと落っこちないといけない時もあるというわけですよ。

――野球界では通常、左バッターの左肩が落ちると、たいてい右肩が上がります。そしてバットのヘッドが下がって出ていくので、スイングが鈍くなるというのが、よく聞く話です。ところが、肩包面のできているイチローは左肩が下がっても、右肩が上がらないんですね。ですから、インコースへ食い込んでくるボールに対して、グリップの位置は下がっても、バットのヘッドが立ったまま鋭く振れていました。また、状況に応じては、右肩周りと左肩周りが同時に前方へズルッとずれ落ちながらバットコントールしていました。

高岡 まず左肩が落ちて右肩が上がってしまうのは全身を屹立させるセンターが足りないことと、肩包面が出来てないことが原因です。イチローはこの年、センターも肩包面も見事でしたからね。インコースでも、アウトコースでも対応できていましたね。そのような肩包面を使って自由自在に打つということは、天才的なバッターでもなかなかできないことですよ。

――過去にもたまたまできた選手はいたかもしれませんが、イチローが'04年にそれを会得するまで、私も見たことなかったです。実際、アウトコースの変化球を泳ぎながら打ったのと、イチローの肩包面をズルッとずらして打つのとでは根本的に違いますものね。

肩包面をずらすバッティングは、態勢が崩れていないから打球に勢いがあったし、すぐに一塁へ走れたので内野安打が量産できた

高岡 イチローの場合は、打球が死んでないでしょ。他の選手が同じボールを似たような感じで打ってヒットになったとしても、ボールが死んでいるケースが多いじゃないですか。イチローの場合は打球が速いか、速くなくても圧倒的にボールが切れているでしょ。いずれにしても、ボール自身がバットからもらっているエネルギーが強いということですよね。ということは、バットスイングが鋭い。つまり、それだけ力強い動きができていて、バランスが崩れていないということですね。そして、バランスが崩れていないから、打った後にすぐに走れて、内野安打が多いということです。

――当時、イチロー自身は狙って詰まった打球を放ち、外野手の前に落すなんて話もしていました。

高岡 それも含めて当時は、テニスの選手がボールコントロールするのに近いようなことを言ってしました。それだけ'04年は、ゆるゆるにゆるんで、そのゆるんだ身体に発達した身体意識に身をまかせてプレーしていたということですよ。

――'04年は、イチローが31歳の時です。それから2年後の'06年3月、第1回WBCが開催されました。この時、イチローは第1ラウンド(東京ドームでのアジア予選)では調子がもう一つでしたが、最終的には全試合でヒットを記録し、打率も3割6分4厘(33打数12安打)でベストナインにも選ばれました。また、「イチロー、どうしちゃったの?」という声が出るくらい元気にチームを引っ張ってもいました。

'06年WBCは、センターが少し弱くなったが、一時的に形成された中丹田でチームと自分自身を鼓舞していた

高岡 その'06年WBCの時の身体意識を見ると、センターが弱くなっていたんです。たとえば、第3軸は'04年に完璧な通り方をしていたのが、ちょっと切れ始めたり、ぶれたり、薄いところがでたりしています。では、あの時に何が良かったかというと、中丹田(胸に形成される情の源)ですね。'04年の中丹田は、弱かったんです。世界的なスポーツのトップ選手で、珍しいくらいで、ここまで中丹田が発達しない選手は探しても見つからないくらい弱かった。それが淡々というか、クールというか。ある人に言わせれば、プロ選手としてはあまり面白くないということになってしまう。

――本人は、ヒットを打つと、内心はメチャメチャうれしいと言ってましたが。

高岡 主観的には、うれしいんでしょう。中丹田が強いというのは、主観的にうれしいということでも、外に表す、表さないということでもなくて、人を巻き込んでしまうエネルギーの源のことです。自分ではめちゃめちゃうれしくても、人を巻き込んでいくエネルギーになっていないということは、中丹田が弱いということです。

――確かに'04年は、イチローブームになりましたが、イチローの闘志とか、気持ちの熱さに巻き込まれてファンが騒いだというより、イチローのカッコ良さにしびれて、ファンはファンで勝手に騒いでいたという感じでした。

高岡 そうでしたね。一方、'06年のWBCは、中丹田が強いんですが、一時的な形成ですね。

――「イチロー、どうしちゃったの」というぐらいのはしゃぎぶりでした。

高岡 下丹田(下腹部に形成される胆力の源)というのは、前後には少し薄いのですが、球状の構造をしているんですね。中丹田も、通常は球状の構造になるんです。というと、「身体意識に形があるんですか?」と疑問に思う人もいらっしゃるでしょうけれど、身体意識の特徴は形をもつことなんです(つまり、潜在意識が形をもっている)。センターも、一本の線状もしくは棒状の形なんですね。それが、途中で切れたり、曲がったり、ずれたりするのも形じゃないですか。そのように中丹田も、形をしているんですね。しかし、'06年WBCの中丹田は、きれいな球状になっていなかった。一時的にわぁーっと形成されたものだったので、一過性のものである証拠なんです。私が見ていて、真に中丹田の強い人の行動であり、発言ではなかったですね。

――そういえば、大会前に「対戦した相手が、向こう30年は日本には手が出せないな、という感じで勝ちたい」と発言して、翻訳のニュアンスの問題もあったようですが、韓国民の大変な怒りを買いましたし、極度の不振だった福留孝介に対してきついことを言ったようで、落ち込んだ福留を人の好い小笠原道大がホテルのバーで慰めるということもありました。

高岡 そういう発言が出てしまうのは、きれいな球状の中丹田が形成されていないからなんですね。熱性のエネルギーが、胸におさまらずに頭に入ってしまうんですよ。切れるとか、頭に来るといわれる状態に近かったということですね。だだし、それが、日本の他の選手が意気消沈しがちな流れの中では、かえって良かったということもあったんですよ。ちょっと切れかかるくらいな人間がいたことが。

――確かに、イチローにきついことを言われた福留は、準決勝の韓国戦の7回、代打で先制2ランをカッ飛ばしました。

高岡 こう見てくると、'06年WBCのイチローは、'04年の絶頂期に比べると、少し身体が硬くなったけれども、一時的に形成した中丹田でチームを鼓舞しながら自分もそれなりの活躍ができたということですね。まだ身体のゆるみ度を見ても、身体意識を見ても、はっきり衰えたとは言えない。けれども、その兆候は出ていたということですね。

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